うてま小

もしも音楽が荒廃していくとしたら 2

もしも音楽が荒廃していくとしたら1のご案内

以前に書いた記事、もしも音楽が荒廃していくとしたら1の続きになります。
1では、私が音楽教室をやっているのに「何を教えていいのかわからない」と思い悩み、突き詰めていくうちに、「そうか、人間の社会が荒廃していくということと、音楽が荒廃するっていうことは、おんなじフィールドでおこることなんだ。」と気がついた、ということを書きました。

五感を超えた感覚の深みから

音楽と人との間に切っても切れないものとして、人の感覚があります。

音楽と聞いて真っ先に思い浮かべるのは”聴覚”ですが、音楽にふれる感覚はそれだけじゃないと思うんです。

ちなみに、人の感覚にはどんなものがあるか抜き出してみます。
まず、はっきりと感覚器官を持っている特殊感覚という部類に入るのが、
視覚・聴覚・味覚・嗅覚・平衡感覚 

体性感覚というのに分類されるもののうち皮膚感覚になるものとして
触覚・圧覚・振動感覚・温度感覚

体性感覚のなかの深部感覚として、
深部圧覚・運動感覚・振動感覚・深部痛覚

内臓感覚として、内臓感覚と内蔵痛覚

・・・と、まあ、たくさん。いわゆる五感というだけではなかったんですねー。

そして、生物学的はこんなふうに分類されてしまうのだけど、どこからどこまでなんて線引きなんか生の感覚からしてみたら無意味で、おりかさなったりもしながら人間の全身で共振しあいながら世界を受け止めてるんだろうなあ、と推測します。

それで、私は、これらすべてが音楽を構成する感覚につながっているとおもうのですが、いかがでしょうか?

音楽する中の感覚

もちろん実際に音楽を聞いているのは聴覚器官ですが、音楽を感じているのはそれだけではないはず。

例えば音楽のなかで、冷たいとか温かいとか感じることはよくありますし、それは色として感じることもあります。また音の低い高い、という概念は重力と似ていて、これは平衡感覚に近い感覚のような気がします。
また、音楽は時間とともにあるから、そこを上がっていって高揚した気分になったり、下がっていって落ち着いたり、という運動感覚がなければ動いていかない。
それに、音色という肌理(キメ・あるいはテクスチャ)は触覚に近い感覚で捉えらてる気がします。
嗅覚に関しては、実際音楽を聞いて匂いを感じるなんてことは直接には結びつかないとおもうけれども、嗅覚というのは、例えば、”美醜を嗅ぎ分ける”みたいな、視覚や聴覚より古い本能や直感のようなものに似ているかもしれない。
そして、演奏する人なら、内臓感覚なんてのが大事、というのもわかってもらえるんじゃないかしら、上手く言葉に出来ないけれども。

つまり、音楽を作るにしても、演奏するにしても きくにしても、人の全身の感覚が使えるわけで、音楽には人の全身の感覚がやどっている、とも言えるかもとおもいます。

感じること、は自分である証拠

感覚って、”自分が”感じるものだから、感じている自分、それは自分が自分であることの証拠みたいなものだとも思います。

そこに音楽は語りかける。

届く、届ける、伝える、伝わる。

立体的で、細分化されながら、深く、共振し、統合的な感覚のうつしということのその延長上に、非言語のコミュニケーションツールとしての音楽が生じてくる。

音楽が、感覚で世界を捉える人から、また人へ伝わるというのは、そこに共有できるものがあるからで、そして人はそれを自ずと共有できちゃうし、共有しよう、したい、と思う。
そして、人から人へ届くことがわかっているから、 より感覚の深い場所を模索したり、独りよがりでは伝わらないから利他的な方法を選択したり、すると思います。

そして、
それは人間社会にとっても大事な要素なんじゃないかな。

社会を支える音楽が社会の中に深く潜り込んでいるかも

非言語のコミュニケーションツールは(その音楽は言葉のなかにも潜んでいて・・)なにか人の社会にとってとても重要な役割を人知れずやっているのではないか。

それは人が見ようとしても見れないものだったり、深く潜り込んで無意識を支えてくれていたり。

聞き分ける、構成する、つなぐ、導く・・

だから、もしこのツールが人と人を自由に結ぶものでなくなったら、それはすごく怖いと思います。そうならないために大事なのはきっと、一人ひとりが、自分の感覚を無視しないで育み、耕していくこと。そのために音楽を学ぶっていうことはきっと役立つ。いや、そうとは限らないから、その方法を模索すべきなんじゃないかと。

だから、私は音楽教室を営むってことは、この社会の深いところを耕す役目が担えるようになっていったらいいんじゃないか、と、そんなことを考えています。


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!