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仕事なんて好きにならなくていい

4月になりました。

新年度ということで、昨日、4/1は年次の上がった学生、新しい学校への入学式、入社式があったのでしょう。
昨日は偶然外出したのですが、電車に乗っていたり、駅を歩いていたりして、新社会人であろう方をたくさん見かけました。なんにせよ様々な困難と判断、選択を繰り返して、一つの区切りとして入社に至ったことは祝福されるべきことだと思います。おめでとうございます。不安だらけだと思いますが、どの層、どの界隈にも素敵な人は居ますし、変な人もいます。自分にとっていい影響を与えてくれる人間と、そうではない人間の見極めが非常に難しいわけですが、そこを鍛えられるように頑張っていきましょう。(いわゆる哲学的な意味での「悪意」を持っている人間には近寄らないことが安全です)

入社式からいきなり土日を迎えることができて、一呼吸置くことができることはとても良かったと思います。(土日休みじゃない皆様は、逆にダメージが大きいかもしれませんね、すみません)
入社式で感じた雰囲気、説明会で聞いた内容、何の準備が必要で、何をしなくてはいけなくて、研修が必要で、配属までには何ができるようになって…といったことを悩んでいる方は少なくないかもしれません。そういう意味では、土日が無駄というか、反芻していてただ疲れて土日が終わってしまうという気がします。必要な買い物などがあれば、本日さっさと終わらせてしまって、あとは遊ぶのがいいんじゃないかと思います。入社した直後の土日だけでは、何も変わりませんから、大丈夫です。


ところで、社会人になる皆さんは、どういう思いで今の会社を選んだのでしょうか。
自分の好きなことを仕事にした人、学校で学んでいたことが生かせるような職種にした人、なんとなく大手だから選んだ人、給料がよさそうだから選んだ人、残業が少なそうだから選んだ人、様々だと思います。

選び方は様々なので、他人の判断に対して嫉妬することもあるかもしれません。
例えば中小企業を選択した人は大手企業を選んだ人に対して劣等感を感じるケースがあります。なぜか国内は大手企業のほうが人気で、それは待遇の問題が大きいのかもしれませんが、成長中の中小企業なんてむしろ新卒で入るのが最高なのですが(中途で入るには相当のスキルを求められがちのため)、22歳かそこらではそんなことは分かりませんよね。
また、好きなことを仕事にした人は、給料や将来性の優先順位を下げがちです。結果、初任給や3年目給料で一喜一憂している人たちに対して嫉妬したり、もしくはそれを見下すこともできてしまいます。実際には何目的で仕事を始めたところで、人生何が起きるか分かりませんから、全然好きじゃないことばかりする羽目になったり、新規事業開発に携わって思ってた仕事内容と異なることばかりやったり、そういったことがたくさんあります。そんなこと、働いたことのない人には想像しにくいですよね。


そして言わずもがな、皆さんにはいつでも会社を辞める権利があります。
新卒採用で入社したら、そのままその会社で40年勤めあげて、骨をうずめる覚悟で、なんていう事実はありません。30年もいれば愛着もあるでしょうから今更転職は…とかなりそうですけど、別にいつ辞めたってOKです。

つまり、私たちの人生において、労働内容というのはまったく固定化しておらず、会社都合や本人希望次第で変化し続けるもの、流動的なものだということです。
今後、楽しく仕事ができる時間が訪れることもあるし、残念ながらそうでもないこともあるでしょう。取引先と口論したり、とりあえず謝ったほうがよさそうだから謝ったり、血の気が引くような失敗をしたりします。人間で、労働で、作業ですから、成功も失敗もあります。


なので私は「仕事が好き」という感情は一切持たないようにしています。
日常「仕事が嫌いだ」と口癖のように言っています。

「仕事が好き」というのは、すなわち「自分の好みの労働が続いていること」です。労働の内容は変化するものですから、「仕事を好き」でいるためには「どのような労働内容に変化してもそれを好きでやらなくてはいけない」ということになります。
そんな化け物みたいなマインドを持っている人は、そうそういません。(たまにいますが、クラスに一人いるかいないかの激陽キャだと思います。その人だって、自分に言い聞かせている面もあるでしょう)

私は残念ながら裕福な家庭でもなく、お金が必要なので仕事を辞めたいとは思えません。何なら出世して大量のお金が欲しいくらいです。生活のためには仕方ありません。
お金が要らないのであれば、仕事なんて本当にしたくない。ずっと読書して、PCと向き合って、ゲームをして、運動をして、植物を育てて、河原を散歩して、お酒を飲んでいたいです。

でもこれらを行うためには、仕事するしかありません。仕方なく、仕事して、出世を目指して、自分の能力を磨いているのです。全然全く楽しくない、やりたくないですが、背に腹は代えられないから働いているのです。頭の悪い上司に説明したり、理解力の極端に低い部下と楽しく話したりするのも、すべて仕事のために仕方なくやっているのです。あーあ、こんなことをしている時間があればゲームがうまくなったり、あの本を読めたり、鉢植えを眺めたり、ジョギングしたりできるのになあ、と思いながらドキュメントを作成しているのです。自分の生活と全くかかわりのない、会社の事業とかいうどうでもいいもののために働いているのです。

私は、これでいいのだと思っています。というか、これこそが仕事なんだと思っています。

とはいっても、それを前提にしながら、やはり達成感を得ることはできます。それも頻繁に。どんなにつまらないゲームでもずっとやっていれば愛着は湧きますし、上手にもなります。多少の苦しみを伴うこともしばしばですが、まあやってやれないことはない、腹は立つし疲れるけど、くらいであれば、仕方ない、私の趣味の時間を賭すほどの価値は私にとっては絶対にないけれど、やってやるか、という感じです。

なので、私は仕事で何か絶望するということはありません。腹の立つことはありますが、それこそうつ病になるみたいなことは絶対にない。なぜ仕事ごときのためにうつ病にならなければいけないのか。生活に影響を及ぼされなくてはいけないのか。支離滅裂というか、逆では。

こう考えてください。生活のために仕事をしているのに、なぜ仕事が生活を邪魔するのか。そんなことは許されない。


これを前提にしておくことで、たいていのことは何とかなります。

同僚や上司を好きになれない。そんなのは当たり前です。好きになれる人もいますが、学校とは違うので、基本馬鹿ばっかりですし、労働におけるコミュニケーションと、隣で学習している同士のコミュニケーションは、情報や意思の質と方向が全く異なります。好きになる必要はないです。好かれたほうが楽ですが、好かれるのも能力が必要なので、時間をかけて習得しましょう。私は新卒から2年くらい、会社組織でのすべての人間とのコミュニケーションがずっと下手で、(多分)嫌われてました。

仕事内容が好きになれない。当たり前です。誰かの何かを維持するための作業や手続きが仕事ですから、どんなにクリエイティブでも部分だけ切り出せばどうしようもないつまらないものになります。時給いくらだなあ、とでも思っておきましょう。

役に立てない。当たり前です。役に立つほうが怖いです。そのうち役に立つようになってしまうので、放っておきましょう。

それでも昇進したい、給料が欲しい。当たり前です。私も欲しい。この悩みは尽きません。遊びたいけど能力が欲しい。そんなものです。どちらかに倒れるだけですから、遊びと勉強の両立を適当にこなしていきましょう。そのうち順次身についてきます。


仕事なんて、生活に直結するものじゃないので適当にこなしておけば大丈夫ですが、とはいいながらお金が増えたり学びが増えたりして人生が充実する側面もあったりするという程度のものです。
それ以外の害をなしてくるようであれば是正すべきですし、資本主義構造であれば、なかば「やらされている」類のものですから、楽しくないのが当然です。感情を揺さぶられる必要はありませんから、致命的なほどに憂鬱な気分にさせてくるのであれば、忘れるか、異動願を出すか、辞めるかしてしまいましょう。


仕事が、あなたの人生を彩るか、邪魔だけはしない存在であり続けることを、勝手に祈らせてもらいます。自戒の念を込めて。

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