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#1 夢も希望も置いてきたベイビーわるきゅーれ感想

片やコミュ障の子供部屋候補の「まひろ」
片やコミュニケーションや日常生活がぎりぎりできる「ちさと」
本作の主人公の2人は殺し屋である。

見どころは何と言っても戦闘シーンと
諦念観だろう。

2人は殺し屋の職業にしており、職種上貧困層とは少し違う。
コンビニでサンドイッチを買えるくらいには
お金に困っていないし、
固定給も貰っているのである。

しかし、物語冒頭からそんな雇い主のマネージャーに「アルバイトをしろ」と指示をされ職探しを始めるところから始まる。
普通は「なんで?」と疑問に思うだろう。
生活に困っておらず、社会生活も難しいことを察してる2人が、ただ指示通りに理由や反抗もほとんど探すことなく、素直に仕事を探しを始める冒頭からの衝撃。
そして、面接先の店長の「夢は逃げるんじゃない逃げるのは自分んだ」の言葉に内心ブチギレている主人公。

もうね、開始数分で"今の若者の諦念全て"を代弁している。

夢なんて持ってない。
思考を巡らしたところで、
世の中も自分の生活も改善することがないことを知っている。
高齢化社会で若者に関心がないことも、
この先救いの手を差し出そうとするヒーローが現れないこともわかっている。
今の生活のみが死活問題であり、それ以外に期待などしていない。

半分人形的で機械的な「精神の死」からくるその感情の起伏の浅さと生への執着心のなさ。

"自分という命の軽さ"こそ
この殺し屋で"相手の命を軽んじれる所為"
に繋がっているのであり

しかし肉体の「生」があるからこそ

"別に死にたいほどでもないが、生きたいと切望するほどの執着心はなく
とりあえず今最低限に不快にならない程度に生きたいだけな、
ぎりぎりの人間味を保っている"

矛盾にすらならないほどの「生」と
殺し屋という「死」
この相対するテーマの中で2人のたわいもない若者の諦めのついた愚痴と、会話劇こそ本作の見どころの一つであり、愛しさであり、悲哀さを保っているのが魅力的だ。
殺し屋というフックが終わりの匂いを終始残しているのもとても狡い。
「終わりの匂いがする物語」ほど惹かれてしまうものはないと思わせてくれる。


そして物語中盤
ちさとが、やっと気に入ったアルバイト先にヤクザが押し入り、
売り飛ばされそうになったために殺してしまったことで
「自分が普通に馴染めない現実」に気づいて涙目になるシーンがある。
(殺し以外の選択肢も他の漫画や物語ならあるだろう。つまり「殺し屋」という世界に身を投じたせいでは片せない、思考を放棄した彼女が本来担うべき罪が置いてけぼりなのである。)

再び、全てのことに絶望した彼女の元には
相棒のまひろがケーキを用意して待ってくれていた。
そんなことで「全てが回復」してしまうくらいには、
質素で細やかなもので日常が成り立っている社会に馴染めない2人にとって、
生きてく術は"裏社会"にしか"希望"がなくなってしまうことになる。

そんな中、ヤクザの仇を取るために命を狙われた二人は、いつも通り楽観的に殺しに向かうが、まひろの元には想定し得なかった「屈強で技術の高い敵」が現れる。そこで始めて「肉体の死」を意識するのだ。
物語冒頭で頭を一発で打ち抜ける高技術の持ち主と示唆されていたまひろが、死への恐怖が故に、死んだ敵に"的も捉えられず"連射するシーンにはその恐怖が詰まっている。

何と言っても、作中ほとんど笑わなかったまひろが
敵を殺した後に興奮で「笑う」のである。
「死ぬかと思った」と。
この時初めて精神的「生」を実感したのではないかと解釈している。

「死んでもいいと思っていたのに反射的に生き抜こうとした自分」と
「今まで生きてたんだ」の実感に「笑った」
物語の終盤でなんともドスが効いている。皮肉的で希望的だ。

そう、我々若者も生きているのである。

この死を持って生を実感したまひろにはこの後精神的変化が起きる予感を残し、
ただ今回も敵を殺したに過ぎない「ちさと」との違いになっていくのではないだろうか。

そしてこの「自我の芽生え」が幸か不幸かはまだわからない。

ということで2を是非とも観たいと思う。

この「わかる〜!!!!」の若者の共感と鬱憤が詰まった感覚を
殺し屋2人が乱射銃と共に慈悲深く
世の中にぶっ放してキレてくれた作品に感謝である。

この世界への怒りが多少マシになることでしょう。

ぜひ観てください。

眠飴

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