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2021年8月の記事一覧
兎がほざく🐇その174
人の温かさが恋しくなったのは、別に今夜に限ったことでもない。
明日のことがわかりにくい昨今のせいなのか?
ぼくは最近、少しでもよい思い出を持って命を終えたいと思って生きている。
春夏秋冬、いつも人が恋しかったというのも、よい思い出だ。
兎がほざく🐇その173
言ったり書いたりした言葉は、自分から外に出た途端、自分のものでなくなる。
言葉を聞いたり読んだりした人のものになる。
自分の言葉が自分の意図通り伝わる保証はない。
しかし、伝わることもあるはずと信じて、そこに賭けたい。
肉体に響く言葉の力を信じたい。
兎がほざく🐇その172
品揃えやディスプレイの行き届いた書店は、よく編集の行き届いた雑誌に似ている。
図書館での渉猟とはまた違った魅力だ。
そういう書店にはたびたび足を運びたくなる。
居場所にしたくなる。
座右に持つための本を選ぶ。
ぼくは持ってもらえるような本を出したいです。
兎がほざく🐇その171
職業は自己実現。職業は生活手段。
どちらもまちがいではない。
何をもって自己実現するか?
でも答えに悩むのならば、いっそ生活の糧のためと割り切るのもありだと思う。
ぼくが昔進路について師事していた禅僧に相談したら、一言、「給料の多いところに行け」と言われた。
兎がほざく🐇その170
多様性という言葉は、使い方によってまるで逆に働く。
「多様性を認めるから、全体に合わせて」という言い方には、多様性をコストとみる考えが透けて見える。
でも誰もが、恒久的にせよ一時的にせよ、マジョリティでなくなる可能性がある。
お互いさまと考えるのが合理的だ。
兎がほざく🐇その169
藤原定家の歌論は、漢詩の詩論を和歌で試みたのだと思う。
この世を離れた普遍性のある情が読み手の心に響く歌。
そのため、周知の古い語句を使うことを勧める。
周知のフィクションを下敷きにしてもよい。
新しさは吾がことに非ず、でも失敗のない、優秀なメソッド。
兎がほざく その168
ぼくらはつぎに何をするか、自分で選んでいる。
しかし過去を振り返ると、運命で定まっていたようにも見える。
自由意思か運命か。
運命論だと、何をすべきかでなく、起こるか起こらないかだ。
To be, or not to be...
自由意思だと自己責任。
二者択一ではなさそう。
兎がほざく🐇その167
今日のぼくらの置かれた状況は、今日の日常が明日どう激変するかわからないという状況だ。
東日本大震災以来、日常が変わったと思ったが、コロナでさらに変化した。
明日はわからないが、今日は普通に生活したい。
今日が最後かもしれないから悔いなく普通に暮らしたい。
兎がほざく🐇その166
子供の頃よく大人に、世間はこうだから、という言い方の話をされた。
今思うと、付き合いのある狭い範囲の人の意見でしかも偏っていることが多かった。
大人になって社会に出ると、世間は広い。
アヒルの世間ではみにくいアヒルの子も、広い世の中では白鳥だったりするのだ。
兎がほざく🐇その165
日が昇り日が沈む。
一日が予定通りに終わるのを誰もが望む。
でもそうはゆかないことばかり。
その日はなかったことにしてパスすると、大抵は対応が後手になる。
みんなが後手ならば誰も自分を責めない?
今世の中で起こっている問題はこうして手に負えなく育つのだろう。
風のウシュマイ/兎がほざく🐇番外
風のウシュマイというドラマがあった。ウシュマイとは琉球語で、漢字は御主前だろう。主人公は明治の沖縄の気象台の長で台風の研究家だった。俗世に欲のない飄々としたさまが人に慕われた。彼は台風の上陸の瞬間を見る時にガラスで片目が見えなくなったが本望だと静かに言った。魅力的な男性像だった。
兎がほざく🐇その164
道で通りかかる人の表情を観察するのが好きだ。
目の表情だけでも、信号を上目遣いで見ていたり、スマホを覗いていたり。
ぼくはじろじろ見たりしないで目の端で眺める。
女性はたいてい、無意識に見られていると思って、髪を指で直す。
今宵会ふ人みな美しき。
兎がほざく🐇その163
家族というものについて考えている。
子どもを育てるためにふさわしい環境と、子どもを支配し束縛する場との両方の可能性。
相互扶助の天国と、相互依存の地獄との両方の可能性。
高校生のぼくはとにかく家を出て、経済的に自立したかった。
だから帰るべき実家はない。
兎がほざく🐇その162
歌のある音楽を聴くと、歌詞を確かめたくなる。
根強いファンがいるアーティストの作詞の力には感服する。
言葉の力が音楽という肉体を得て、聴く人の肉体に響く。
歌、朗読、演劇、いずれもそうだ。
声で語って伝わる言葉を書きたい。
文字に書かれた肉声となるように。