中高一貫校を追い出された話 ①

公務員家庭、三人兄弟の長女。

第一子マジックというかなんというか、わたしの両親は教育熱心だった。

幼稚園からお受験の場を提供されていたものの、年少・年中の2回ともクジで落ち、さらにその系列小学校もクジで落ちるという徹底ぶり。そこまでクジで落ち続ける確率は100人に1人とかそういうレベルだったらしい。そもそもクジってなんだ。人の人生弄ぶな。

今思えばそのときからどう足掻いても成功者にはなれない星の下に生まれていたのだがしかし、マジック発動中の両親はあきらめなかった。

そんな親心をよそに、わたしはというとすっかり地元の公立小学校に馴染んでいた。

そのため、中学受験に向けた進学塾に通わされたところで今一つ勉強に打ち込むことをせず、絶妙に微妙な成績を叩き出し続け、身の入っていない授業態度とそれが反映した成績に業を煮やした算数の講師からある日突然クラス全員の前で頭ごなしに怒鳴られ、びっくりしたわたしはその日をもって退塾した。

そんなわたしの態度をみて、ついに父親は匙をなげたのだが、しかし母親はまだあきらめなかった。虎視眈々とチャンスをうかがっていた。母の愛たるや。


小学校生活も終わりが見え始めていたある冬の日、母から「たまには東京に遊びにいかないか」と誘いを受けた。TOKYOという響きは思春期ほやほやのわたしにとってとても甘美であり、今も昔も甘美なものに釣られがちなわたしは二つ返事でOKを出し、母とともに電車へ乗り込んだ。

母に導かれるがまま電車に揺られ、乗り換え、下車し、TOKYO(にしては少し田舎)の道を歩いてたどり着いたそこは某中高一貫女子校だった。

WHAT?

某中高一貫女子校の校門には「入試会場」と書かれた看板があり、同じくらいの背格好をした思春期女子たちがやたらと小難しい顔を携えたまま校舎に吸い込まれていった。

一方わたしはWHAT顔を携えたままやんわりとその場から離れようとしたのだが、しかしそんなわたしの腕をむんずと掴んだ母は、受けるだけ、ね?受けるだけ、とナウシカのようなトーンで宥め、筆記用具を押し付けてきた。

嵌められたのだ。

人生で初めてわたしを嵌めたのは母だった。


しかし、ここで嫌だもう帰る!とならないのが我ながら凄いところで、えー受けるだけだよ?といったフランクなノリで快諾したのだ。

というのも、わたしはテストが好きだった。もっと言えば、実力テストが好きだった。所謂、定期テストといわれる出題範囲が決められたテストにはめっぽう弱かったのだが、広範囲からランダムに出題される実力テストになるとなぜだかやたらと好成績を残せた。

自分でいうのもなんなのだが、地頭は良かったのだとおもう。ただ、致命的に努力ができなかった。これは本当に致命的で、以降わたしの人生には、努力さえしていれば…と悔やまれるターニングポイントがごろごろしている。

そんなわけで、突然に受けることになった入学試験。実力テスト感覚で楽しく問題を解き、その後は当初の予定通りTOKYO観光としけこみ、最終的には原宿でクレープなんぞを嗜んで陽気に帰宅した。

それから数日。

中学受験をしたことなどすっかりさっぱり忘れていたわたしの元に、まさかまさかの合格通知が届いたのだ。

補足になってしまうが、母が唯一選んだその中高一貫女子校は偏差値が60ほどあり(今はもっと上がっているらしい)わたしの学力では遠く及ばないはずの学校だった。

そんな学校から届いた合格通知に母は歓喜していた。ほぼほぼ、狂喜乱舞だった。そして当のわたしはというと…俄然喜んでしまった。

今だからこそわかるが、あれはただ単に「合格」が嬉しかったのだとおもう。それまで塾で講師陣にさんざんボロクソに言われ(得意の国語の講師にだけははちゃめちゃに褒められていた)、成績順で決まる座席はいつも教室後方、自分が努力していないことを棚に上げた結果、プライドはずたずただった。

そんな中で手にした「合格」の文字は、ずたずたのプライドを瞬間接着してくれた。認められた!ついに!わたしが!認められたのだ!という喜びが満ち溢れてしまった。

結果、竹馬の友と別れることになるだとかそういうことに思い至る前に、その中高一貫女子校への入学を決めてしまったのである。その後に待ち受ける地獄を知る由もなく。


②につづく


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