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音に言の葉が乗るとき

この世で一番初めに歌を歌ったのは誰だったのだろうか。
何を考え、誰を想い、言葉を音に乗せようと思ったのだろうか。

ずっぷりと長時間労働に浸され終電で帰ってきた深夜、ラジオやSNSからぽつぽつと転がる声を聴きながら眠りに落ちたい。休日の朝、ゆったりとした音楽を聴きながら、ただコーヒーに映る木漏れ日を眺めていたいーーー

私が「音」を欲しているときは、心にわずかに何かが足りないときだ。
人の話し声があれば、声の隙間に滑り落ちていくように眠れそう。静かすぎるコーヒーは記憶を辿るのに少し時間がかかりそう。そんなときに、話し声やBGMが欲しくなる。
言葉だけでは、状況だけでは、あと一歩何か足りないとき、音は時にスパイスとして、時に香りとして、私の人生に色付けをしてくれる。泣きたいのに泣けないとき、想いの乗った歌は涙の背中を押してくれる。

我々人間の歴史において、初めて歌を歌った偉大な先輩も、そうだったのではないだろうか。
絶望の淵から立ち上がるには勇気だけでは足りなくて、喜びを表現するには言葉だけでは伝えきれなくて、独りで過ごす夜には月明りでは寂しすぎて、音が、音楽が必要だった。なんとなくそんな気がするのだ。

そんなことを考えながら、音楽を聞きながらコーヒーを飲む土曜の午後。
私もまた、わずかに何かが足りていないのであろうか。

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