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万霊節に。。




野原の一本道を自転車で走ってゆく。前方の黄色く色づいた樹の頂にオレンジ色の太陽が乗っている。
夕日はミシミシと樹を押しつぶし乍ら高度を下げ、その動きに合わせるように空の色もオーロラの如く変化してゆくのが圧巻だった。なんという美しさなのだろう。
赤とオレンジが帯になったメノウの中に入る事が出来たならこんな具合に見えるだろうか?
私は自転車の荷台に、沈んでゆく太陽と同じ色の大きなカボチャを、荷紐でがんじがらめに括ってとめてあるのを確認しながら重みにふらふらと道を走っていた。
荷台のカボチャは思いのほか重く、しかも刻々と重みが増してゆくかのように感じられる。
するとどういうわけだか重みの増え方と同じだけ疲労感が増してゆくのだ。

とうとう自転車のペダルを押し下げるの事が出来ないと思った途端、目の前の風景が徐々にかしぎはじめ、仕舞いにグルンと180度回転して止まった。
バランスを崩して自転車ごと倒れてしまったのだ。
ひんやりとした地面を感じた瞬間風景がブンと飛び跳ねたように見えたのは気のせいだったのかもしれない。
痛みはすぐには襲ってこなかった。どうやら怪我は無かったようだ。
しばらくの間赤とオレンジの層の隙間に紫とグレーが混じり始めた空をぼんやりと眺めているのが気持ちよかった。
地面の冷たさに肩が痛んだ。そろりと起き上がり、自転車を見やると括りつけていたカボチャがぱっかりと割れている。
割れたカボチャは、断末魔をむかえている生き物が震えているかのようにみえた。

途方に暮れたようになって近くに転がっていた切り株の上に座り、カボチャを届ける事が出来ない言い訳をいくつも考え始めた。

このカボチャは婆さんが作った近所では人気なカボチャで、苗一本に一個の実だけを育てる。婆さんは毎日畑でブツブツと呪文のように実に話しかけながら精魂込めて世話をする。このカボチャだけは触らせてもくれない。
一度婆さんがかぼちゃに何を話しているのか知りたくてそっと近づいたことがあった。カボチャ畑の傍にはまわりと不釣合いに大きな鶏小屋があって、そこには貧相な数羽のニワトリが餌をついばんでいる。
その小屋の影に隠れて耳をそばだてるのだが、よく聞こえるのに意味がちっともわからない。婆さんは私の知らない言葉でカボチャと話しているようだった。
その言葉の中に何度か『アムルト』という言葉がはっきりと聞き取れたのは、婆さんがその言葉を何度も唱える様に繰り返したからだ。その言葉に刺激される様に、カボチャの蔓がブルンと揺れる。風の仕業だろうけど。
婆さんは一通りのセレモニーを終えた後、いかにも満足そうに台所に戻っていった。
婆さんの立っていたあたりに行って見ると、いかにも元気なカボチャが10個ほど濃い緑の中で金色に輝いている。私はこっそり『アムルト』とつぶやいてみた。別段不思議な事はない。家に戻ろうと畑に背を向けて歩き出そうとした時、右足首に引っかかる物があって見ると、婆さんのカボチャの蔓が私の足首にグルグルと2重に巻いていた。何てこった。
少し腹が立って蔓を鷲づかみにしてグイッと引きちぎろうとしたが、婆さんの機嫌を損ねるだろうから、しゃがみこんでそろそろと蔓を外して逃げた。

日が暮れる前にカボチャを届けなければいけなかったのに、もう夕日の名残がほんのり残っているきりで、空には星が滲み出している。
自転車を立て直し、荷台に割れたカボチャを乗せながらふと「アムルト」とつぶやいてしまった。すると割れたカボチャの中にぎっしり詰まっていた種がにわかにもぞもぞ蠢いて、芽を吹き始め、絡まった緑の玉となりそれは家ほどにも膨らんで私を巻きあげ取り込み野原の一本道をゴロゴロと転がり始めた。
いったいどうしてこんなことになっちまったのか? わけが解らない。
。。とはいえ、転がり続けていると少しだけ解ってきたような気もする。
いきなり全ての歯車がカチリと音を立ててあるべきところに納まった。
今では婆さんのつぶやきも理解できる。
私は解放された。


今年の秋は暖かい日が続いているのでありがたい。寒くならない内に畑や庭の冬支度を済ますことが出来るだろう。
あの人はカボチャを良く食べた。
本当は嫌いなカボチャなのだが、私の作ったカボチャが好きなのだといった。
だから今でも、こうして話しかけながら丹精込めて作っているのだ。
ああ、暖かな秋の日差しが気持ちよい。それに今年はまだ腰も重くならずにありがたい。
精一杯働いたのだから少しだけ昼寝を楽しんでもいいじゃない? その後であの人が美味しそうに食べてくれたカボチャのピクルスを仕込むことにしよう。
そして食卓に並べてみようか、もう座る人のいない窓際の席 の前にも。今日は万霊節だから。


白髪が縺れた彼女の頭は、秋の金色の日差しに染まって輝く。




註)万霊節:死者の霊を迎える日。万聖節の翌日11月2日。

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