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愛しあってるかい?の意味を知る地下3階

例えば人の名前を思い出す時、私は頭の中から取り出している感覚がない。宇宙のどっかに倉庫を借りていて、そこに置いている荷物を、必要な時に引っ張り出しているような気がしている。「麿赤兒」なんて頭の中に置いているとは思えない。「麿赤兒」はいつも、ほら、大森南朋のお父さんの、舞踏家の、って言い始めてから宇宙に取りに走る。あの地下3階、国立科学博物館の霧箱を宇宙線が自由に飛び交う光景を見た瞬間から、きっとそうなんだろうと思ってる。

神社でお参りする時、私は「私の神様」と呼びかける。'Oh my God'も、ジョージ・ハリスンの'My Sweet Lord'も'My'が付く。神様の「神」は当て字で、本当は源流とか川上の「上」らしい。私の上。上の私。宇宙にいる対の私。神様、つまり自分の源と響き合うために手を叩く。イザナギは粒子性、イザナミは波動性のことだとカタカムナは言う。神道は振動。この世は粒と波でできているなら、正しい願いは口にすると叶うということ。発する言葉がこの世界を作っている。

オーティス・レディングのパフォーマンスから、まるでオリジナルな日本語にしちゃった清志郎さんの「愛しあってるかい?」はすごい言葉だと思う。愛は単独では発生しない。愛は、相反する2つのものが、響き合って生まれる。愛は相で、愛は合で、愛は'I am'のアイ。私も、こっちの私とあっちの私が響き合って存在する。「君は一人じゃない」なんて人は言うけど、知ってるよ、まさに、私は向こうにもう一人いる。私たちの魂が宿る目も、2つのアイ'eye'でできている。

北緯30°の線上にスフィンクスが鎮座する球状の地球は、古代には「キ」と呼ばれていた。カタカナのルーツとされるカタカムナの「キ」の文字(○にキ)も、古代で重要視された北緯と南緯30°の線と地軸を表しているように見える。言葉はかつて暗号だった。ゲマトリアでは「聖霊」や「知恵の泉」という言葉は1080という数字で置き換えられ、ゲマトリアで1080は月を意味する。月の半径は1080マイル。また、プラトン月(春分点を1星座移動する期間)として知られる2160年は、月の直径2160マイルに等しい。

チチカカ湖って父母湖じゃないの?、なんて、思い巡らしながら。私は、光飛び交う、スカスカの地下3階で。

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