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【note的自己紹介】 あらためまして、ゆうすけと申します。


こんにちは、ゆうすけです。
メンタルヘルスがライフワークの内科医をしています。


今年から書きはじめたnoteも、これでちょうど50本目になりました。
あらためて、自己紹介的なものを書いてみようとおもいました。
とりあえず、これを見ていただければ、どんなやつかだいたいわかるとおもいます。


■ライフワーク
なぜ、内科医のくせにメンタルヘルスが「ライフワーク」かというと、医師として診察室の中で関わっているわけではないからです。

元々ある人間関係のなかで、メンタル的につらくなってしまったひとが発するSOSを受けて、生活の中でできる範囲のサポートを趣味でやっています。医師としてではなく友人として、仕事ではなく個人的な趣味として関わっているのでライフワークです。ここ10年くらい、そういう感じで関わるひとが常時数人くらいいる感じです。

「どうしても死んでほしくないから、しっかり関わりきろう」と決めた場合には、わりと際限なく関わることもあります。趣味なので、公私の境目はあまりないし、医師としてではなくプライベートで関わっているので、内科医だろうが精神科医だろうが関係ないな、という感じです。

そういうやりとりの中で感じたこころや感情との向き合い方、こころのケアとかについて、コルクラボをきっかけにはじめたTwitterでつぶやくようになりました。

Twitter
https://twitter.com/usksuzuki

noteでは、つぶやきをさらに掘り下げた感じのことを書いています。
感情を激しく揺さぶられることが多いので、陰性感情との向き合い方についてやたら考えるようになりました。


「感じてはいけない感情はない」
https://note.mu/usksuzuki/n/nbaffb02a317f

「怒りのエネルギー変換について」
https://note.mu/usksuzuki/n/n7e7ec235e2e0


1時〜3時くらいがだいたいコアタイムで、誰かと電話とかメッセをしてることが多いです。いまの状況をどうするか、一緒に考えたりしてます。
「やべーな」とおもうときは直接出動することもあります。
夜回り2.0で有名なOVAの伊藤次郎さんのユニバーサルじゃない版みたいな感じです。

活動してないときの夜はだいたいスプラトゥーンをやっています。
通算プレイ時間は1000時間にせまる勢いですが、ウデマエレベルはA〜S止まりで、たぶん才能はありません。でもイカを愛しています。(タコも)


なぜそんなことをしているかというと、ネガティブな理由としては、大切なひとを失ってしまった喪失に、じぶんなりの意味を持たせたいなあというのがあります。
ポジティブな理由としては、ただ、「ひとが変化するのを見るのが好き」だからです。
中でも、じぶんの関わる大切なひとの「死にたい」が「生きたい」に変化する瞬間が最高にロマンチックです。その瞬間に立ち会いたいがために、ここ10年位色々と積み重ねてきたんだろうな〜と、振り返っておもいます。


■noteとのご縁
noteをはじめたのは2018年の1月、最初に書いたのがこれです。喪ってしまった大切なひとの記念日に書きました。ぼくが「死にたい」に関わっているときの基本的なスタンスが書かれています。

「ポップな仇討ち」
https://note.mu/usksuzuki/n/n7f86fc1bee75

noteというサービスと相思相愛になれるとおもったのは、ぼくの10年間ってこんな感じだったな、と渾身の力を込めて書いたものが、公式のおすすめにピックアップしてくれたからです。それが今までで一番読まれた内容になって、なんだか人生を肯定された気持ちになれました。


じぶんの"want"の見つけ方 (じぶんの感情がわからないひとは、スターを集めようという話)
https://note.mu/usksuzuki/n/n868c3c2bbdb2


「自己肯定感」というテーマについて
いろいろなひとの「生きづらさ」に触れてきて、その根底にあると強く感じたのは、「じぶんには価値がない」という、自己肯定感の問題でした。


そしてその原因の大半は、すべてのひとが当然あたえられるべき「安心できる居場所」がたまたま与えられなかったことであり、生きづらさを抱えた本人には全く責任がない。言わば「無理やり背負わされた生きづらさ」です。それによってもたらされた不幸な結末をいくつも見て、こんな不条理なことがあっていいのか、と感じるにようになりました。

「いい奴が、当たり前のように幸せになれない世の中」だと、希望がなさすぎるから、なんとか後天的な関わりによって、この「自己肯定感」の問題をうまくできないかな、と考えるようになりました。

そんなとき、コルクラボをきっかけにサクちゃんと出会いました。
サクちゃんはじぶんでは「自己肯定感低いよ」と言ってるのに、いつもニコニコしてて、わりとハッピーに人生をグリップしているように見えたので、「これは面白いケースだぞ」と衝撃を受けました。


「生きづらい」ひととの関わりの中で得てきた学びや気づき、「死にたい」が「生きたい」に変わったときのダイナミックさ。そういう経験から感じてたものが、何かの役に立つかもしれないし、なにより自己肯定感についていろいろ考えるの楽しいな、ということで、「月刊・自己肯定感」というマガジンが生まれました。
ありがたいことに、すごく多くの方が読んでくれています。感謝です。

マガジンのつくりかたを間違えて、2月分だけは別個になっちゃったんだけど、それは「お試し版」ってことでちょうどいいかなってことにしてます。

マガジン「月刊・自己肯定感」(月額600円)
https://note.mu/sac_ring/m/m38349a19b458


マガジン「月刊・自己肯定感(2月)」(600円) 
https://note.mu/sac_ring/m/m8f5f2735acab
(9記事くらいあります。お試し的にどうぞ。)


自己肯定感の源泉となる、「安心の居場所」についてもよく考えています。
競争や成功を追いつづけることが、決して幸せにつながらないよなあとおもっていて、サクセスの価値観の中で自己肯定感の問題が解決できなさそうなので、幸せになる手段としてのコミュニティや、それをもたらすための幸福観、「やさしさ」についてもよく考えます。

マガジン(「安心の居場所」とか「コミュニティ」について)
https://note.mu/usksuzuki/m/mf3bf41600e4f

「やさしさ」とは何か(青魔道士になりたい話)
https://note.mu/usksuzuki/n/nc451bb0173c5

「安心をつくる技術」
https://note.mu/usksuzuki/n/n0ed97ac911f6



・・・とまあ、こんな感じです。


■あとがき

この自己紹介をつくったのは、ぼくが「自己紹介が苦手だから」というのが大きい。

経歴もわかりにくいし、そもそもリアルな場所の交流でじぶんのことを即時的に理解してもらうのはすごく難しい。懇親会の雰囲気に気圧されたり、逆に押し付けがましいコミュニケーションになってしまって帰りの電車でひとりげんなりすることもしばしばある。


そんな中で、こんなふうに「わたしはこうなんですよー」を書きのこしておくことで、即時的な相互理解はできなくても、相手のペースと感覚に基づいてスキャンしてもらえるかもしれない。そうなると、今後深いコミュニケーションができる可能性が残される。アドリブ利かない勢、コミュニケーションスタミナ低い勢としては、とてもありがたい手法だとおもった。


「しいたけさんの固定ノートが参考になりますよ」とアドバイスをくれた盟友のピースオブケイクみずのさんにも感謝。


おわり。


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