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Who am I? 写真家 鈴木雄介とは。


プロフィール


鈴木雄介 / Yusuke Suzuki

1984年 千葉県流山市生まれ
2011年 米国ボストン New England School of Photography卒業。
同年よりボストン地元紙やロイター通信でフリーランスとして活動したのちニューヨークに拠点を移す。ドキュメンタリーフォトグラファーとして戦争と、戦争が人や社会に与える影響をテーマに活動を始める
2020年 拠点を日本に移す

実績 Performance

TIME、 CNN、MSNBC、 The Washington Post、 Reuters、 Al Jazeera、 Boston Globe、 ZEKE Magazine、 MIPJマガジン、THE BIG ISSUE日本版、共同通信、 NHK、Yahoo Japan、The Page、 Days Japan、 週刊現代、 フライデー、週刊金曜日、 月刊ジャーナリズム、Inspiration Cultマガジン、 Internazionale(イタリア)、 Haaretz(イスラエル)、 Toronto Sun(カナダ)、Estadao(ブラジル)、 Rianovosti(ロシア)、 Hindustan Times(インド)など

受賞歴 Awards

2020年 Prix de la Photographie (フランス) - プレスフォトグラファーオブザイヤー
2020年 American Photographic Artists Awards (アメリカ) - 2位 ドキュメンタリー部門
2019年 IPA - The International Photography Awards 2019(アメリカ) - 2位 プロ部門 エディトリアル / 報道・戦争 / 紛争カテゴリー

2018年 第14回名取洋之助写真賞(日本) - 大賞

2018年 12th Pollux Awards(アメリカ) - 大賞

2016年 ベルリン・フォト・ビエンナーレ(ドイツ) - 新人賞

2014年 Pollux Award(アメリカ)
- プロフェッショナル・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー 受賞

2014年 The Worldwide Photography Gala Award's 7th Pollux Award(アメリカ) - 1位 ドキュメンタリー部門

2013年 第26回 エディ・アダムスワークショップに世界中からの100人の一人の若手写真家として選ばれる(アメリカ)

2011年 ボストン報道写真家協会(アメリカ) - 1位 ピクチャーストーリー学生部門

2011年 WPGA Annual Pollux Awards(アメリカ) - 1位 ドキュメンタリー部門

2011年 ハーバード大学主催Pluralism Project Photo Contest(アメリカ) - 大賞

2010年 The Society of Publication Designers Virtue & Vice Student Photography Competition(アメリカ) - 2位

なぜ戦争を撮るのか vision

 私は高校時代、平和学習が盛んで、式典での国旗掲揚や国歌斉唱を巡って生徒や教員も含めたディスカッションが盛んに行われる学校に通っていた。修学旅行ではひめゆり学徒隊の生き残りの方の話を聞いたり、日本軍と沖縄住民が逃げ込んだ洞窟を訪れたりもした。そんな「平和」がいかに大切かを議論する環境にいる中で、あの9.11が発生した。ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んで行く光景を生中継で目撃した。自分の未熟な想像力を超える現実を、ただTV越しに傍観するしかなかった。この出来事をきっかけとして対テロ戦争に突き進むアメリカと、どこよりも早くそれを支持した日本。世界中の反戦運動も虚しく、アメリカはアフガニスタンに侵攻した。現実の世界では、より大きな力を持った者達の言葉が正義と呼ばれ、彼らが掲げる大義の為に戦争は正当化されていた。学校で教えられてきた「平和」というものにリアリティを感じず、疑問を抱いて、戦争とは一体なんなのだろう?と思い続けた。自分の目でそれを見てみたいという想いはどんどん強くなっていった。

 2006年、21歳の時についに機会があって私はアフガニスタンを訪れることになった。当時30年近くも戦乱の状態が続いていたアフガニスタンの首都カブールに降り立った私は、自分の目に入ってくる光景全てにショックを受けた。一国の首都だというのに、右を見ても左を見ても崩れ落ちた建物が目に入る。錆び付いた戦車や装甲車の残骸がひっくり帰り、一歩脇道にそれれば地雷が埋まっていた。手足を無くした大人の男たちが、松葉杖や粗末な台車に乗って、道路のど真ん中で通り過ぎる車に施しを求めていた。サンダルを買うために、鉄くずを拾っていて地雷に片足を吹き飛ばされたという小さな男の子が、ひょこひょこと友達の後をついてきて、興味深そうに珍しい日本人に話しかける。頭から全身をスッポリ覆うブルカを着た母親達が、幼い子供を抱いて道端に座り込み、囁くような、消え入りそうな弱々しい子で何かを呟きながら近寄ってきた。私は、どうしていいかわからず混乱した。彼らのみすぼらしい姿とは対照的に、ボディーアーマーと弾薬などの装備でパンパンに着膨れした完全武装の多国籍軍兵士たちが、人々に鋭い視線を向けながら街中をパトロールしていた。国連関係者や国際NGOの職員たちは欧米に憎しみを持つグループに誘拐された。親兄弟や友達を殺された子供達は、輝く笑顔で「大人になったら敵を殺すんだ」と復讐を誓い、戦争は次の世代に受け継がれていくのだと知った。

 約一ヶ月の滞在で目にした物事のインパクトはあまりに強烈で、自分の中に湧き上がってくる行き場のない感情や想いをどうしたら良いのか、その方法が全くわからなかった。戦争が残す傷跡は、実際に目の当たりにするとあまりに生々しく痛々しかった。そんな時、偶然出会った各国の写真家やジャーナリストたちに、彼らの写真を見せられ、写真は自分が見たもの、体験したこと、感じたことを記録し、表現できるのだと知った。日本に帰国するとすぐにカメラを買い、数ヶ月後に再びアフガニスタンに戻った。今度は自分の見たものを写真に残すのだという想いとともに。

 それ以来、もっと世界の事を知りたい、なぜ何もしていない普通の人々がこんな目に合わなければいけないのだろう?と思うようになった。そして自分が見た世界や受けたショック、感情を写真を通して伝えたい、と強く思うようになった。あまりにも無情な現実、それに翻弄されるしかない無力な人々の生き様や悲しみ、怒り。それはきっと誰かが見届け、世に伝えなければいけない事である。誰かがしなければ、どんなに凄惨で悲惨な出来事が起こっていても、起こっていない事になってしまう。そうなれば、誰も彼らに助けの手を差し伸べる事が出来なくなってしまう。そして、戦場の最前線で戦う人間たちも、私たちと全く同じ人間である。家族や兄弟がいて、恋人や妻がいる。それは兵士がどこに所属していて、なんのために戦うのか、その目的や志が違っても一緒だ。みんな変わらぬ人間なのに、なんのために命を賭けるのか。自分の命と引き換えにしてでも、戦って守ろうとするモノ。自分にはそれがあるだろうか?街のため、国のため、民族のため、家族のため、思想のため、生き延びるため、、、究極の状況である前線で戦う人間たちの姿を見て、想いを知りたい。それを知る事は、人として生きて行く上で大きな価値があると思うし、そんな環境で生きる人たちの姿と言葉は、当たり前のように安全に毎日を過ごしている我々に、何かとても大切な事を気づかせ、疑問を投げかけてくれるかもしれない。
 
 極限の状態に達して初めてわかる事、見える物がある、というのは多くの人が人生の中で一度は感じた事があるのではないだろうか。命のやり取りをする現場にこそ、生々しい人間の残酷さや愚かさ、高潔さや誇り、何かを愛おしく思う優しさなど、人間として根源的に大切な何かがあると思っている。私はそれをこの目で見て、撮りたい。本当なら、この地球上の人全てがたった5分でもいいから、そういう場所を見て、何かを感じれたらと思う。しかし、皆は行けない。 危険で皆がいけない場所だからこそ、私たちのような、カメラと自由な意思と危険に対峙する覚悟がある者たちが、代わりに目となり耳となり、現場に向かうのだ 。

 日本も、目まぐるしく動く世界情勢の中で、そう遠くない未来に戦争に巻き込まれる事が再びあるだろう。歴史を振り返ってみれば、70年以上も平穏に暮らせている事の方が奇跡なのだ。国力と軍事力を急速に成長させ、周辺諸国のみならず欧米諸国と軋轢を生んでいる中国と、世界一の軍事国家で経済大国であるアメリカが衝突するのはそう先のことではないだろう。いま現在もAI技術、通信技術、軍事技術を巡ってアメリカと熾烈な争いを繰り広げている。両国とも核を保有しているから、お互いに撃ち合う事はないだろうが、既に両者の間でサイバー攻撃というオンライン上での戦いが行われている。対立がエスカレートし、もし軍事衝突になれば、確実に攻撃を受けるのは中国に最も近く、多数のアメリカ軍基地が存在するアメリカの前哨基地としての日本である。現在中国と仲良くやっているロシアは中国に加勢するだろう。日本に存在する米軍基地と自衛隊を潰せば、アメリカにとって大打撃となる。一方、アメリカにとっても日本こそがアメリカ本土を守る砦であり、ここに戦力を集中させ出撃することになる。アメリカ本土とアメリカ国民を守るためには、最悪日本が焼け野原になる事も辞さないだろう。今の平和な日本でそんな事が起こるわけがないと思うかもしれないが、私が取材したシリアも戦前は同じだった。平和的な民主化運動があっという間に内戦になり、その混乱に乗じて様々な国が介入して代理戦争となり、めちゃくちゃに引き裂かれた。シリア人の友人は誰もが「まさかこんなになるとは思っても見なかった」と言う。平和はとても繊細なバランスの糸の上に成り立っているだけで、きっかけがあればあっと言う間に戦争へと転落してしまう。日本だけがそうならないと誰が言えるだろうか?私たちは70年前まで、国をあげた総力戦で、本土決戦を覚悟でアメリカと戦っていたのだ。東京をはじめとした大都市は空爆で焼き尽くされた。歴史は繰り返す。戦争は有史以来終わった事がない。人間が存在する限り、起きるのは明らかなのだ。そして、戦場はいつも自分の国の外にあると思うのは間違いだ。

 もし私たちに今できる事があるとすれば、世界の今を知り、そこから学び、一人一人が意識を変え、私たちの代表である国会議員たちを責任を持って選び、自分たちの意思を反映させ、できる限り最悪の道を歩まないようにしていくことではないだろうか。戦争は正当な外交手段の一つとして認められている以上、それしかないだろう。世論の反発が強力になれば、抑止力につながる。かつてアメリカがベトナム戦争に進んで行った時、現地で撮られた写真や映像が、政治家がアメリカ国民に語る状況の嘘を暴き、それが大きな反戦運動となり、アメリカがベトナムから撤退する大きなきっかけとなった。それ以来、アメリカ政府は戦争時には大きな報道規制をかけるようになった。彼らは写真家を嫌い、写真家たちが戦争の現場で自由に動くことを規制し、検閲をするようになった。それはつまり、写真や映像が人々を動かし、戦争に対する大きな抑止力になりうる事の証明だ。ならば、私たち一般市民がすべきなのは、「知ること、知ろうとすること」ではないだろうか。いくら写真家やメディアが発信しても、それを受け取る人々がいなければ、次の行動に繋がらず、何も変わらない。知れば、何かしらの関心が湧き、感情が動き、行動に繋がるかもしれない。私たち写真家は「伝えること」しかできない。共に一人一人が意識を変えて「知ろうとすること」の大事さを伝える事が、将来を変えるだろう。


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