社会運動は左派の特権ではない

デモとか社会運動とかいうと、SEALDs的なものとか、共産党の息のかかっていそうなプロ市民団体のものとか、極端なものだと反天連とか、ああいうものが連想されがちだと思う。また、デモを語る人も99.99%、そちら側にしか光を当てない気がする。

いわゆるヘイトデモを批判する声はあるにはあるが、ヘイトデモではない、まっとうな保守のデモ(例えば外国人参政権に反対するデモや、中国の尖閣諸島侵略に抗議するデモ等)を、デモを語る際にわざわざ取り上げる左派論客を見た記憶がない。

あえて私は「まっとうな」と書いたが、正直なところ、彼らがどこまでまっとうなのか私には自信がない。裏で新興宗教が暗躍している可能性もあるし、正直、よくわからないものには近寄らないほうが賢明だと思う。とはいえ、私が参加したいくつかの保守系デモは、参加したからといっていきなり変な宗教に勧誘されるとかいうことはなかった。そもそも誰からも特に話しかけられることもなかったし(笑)。

だいたいデモというのはキャンセルカルチャーの最たるもので、何々をするな、何々をやめろ、と叫ぶばかりで建設的ではない。何々をしろ、何々をやるべきだ、という類のデモは、全くないわけではないが、少ないと思う。ちなみに当方、キャンセルカルチャーという言葉を覚えたてで使いたくてしかたがない時期なので、まあ許せ(笑)。

結局のところ、なぜ若者がデモに参加しないのかというと、端的に言って「胡散臭いから」だと思う。右派のデモと言えば統一教会や幸福の科学みたいなのが紛れ込んでいそうだし、左派のデモと言えば共産党とか過激派とか外国勢力などが浸透工作をしているだろう。かつて薬害エイズ問題で運動に参加していた小林よしのり氏も共産党のオルグについて描いていた。彼らは表立ってそういう団体との関わりを名乗らないので、うっかり信用して友達になってしまうと、そういうものに誘われて断れなくなってしまうのだと思う。

また、そもそも選挙で政策を変えることができるのになぜわざわざデモをやるのかが理解できないというのもあると思う。百歩譲って、沿道に向かって有権者に政策を訴えるデモなら、分からないでもない。共産党系の人達が、憲法改正を許すなって言って駅前でやるデモとかは、そういう目的だろう。でも、人通りの少ない国会議事堂や官庁街でやるデモには何の意味があるのかまったくわからない。

正直言って、今の時代にデモは時代遅れだと思う。何千人、何万人も集めて、頭の悪そうなワンフレーズ・ポリティクスを連呼するよりも、こうやってブログでも書いてた方が世論を変える力になると思う。私みたいな無名の馬の骨のブログですら、だいたい毎回百人以上は読んでくれているし、たまにバズると千人以上が読んでくれることもある。しかもブログはワンフレーズではない。何がどうしてどうだからこうなのだ、と論理的に詳細を詰めていくことができるから説得力が違う。

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