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政治の話はタブーではないし、選挙の投票率は高くなくて良い。

さとうゆーすけ、またかよ、とお思いの方もおられるかと思いますが、少しだけ新しい切り口もあると思うので、良かったら読んでってちょ。

こういう記事を見つけましたので、過去にも散々言ってきたことの繰り返しが多くなると思いますが、新しい視点も含めて、改めて反論しておこうと思います。反論というか、「こういう視点もあるんだよ」ということに、若い人たちに気付いてもらえたら、と思ってます。

「政治の話で言い争いたくない」から「政治に無関心」なのか?

これは違いますよね。だって、このロジックが正しいなら、野球についてもみんな無関心のはずです。確かに、現在、野球人気は下火ですが、そもそも「政治、宗教、野球の話はタブー」と言われてたのは昭和の野球人気全盛期の頃です。当時はプロ野球中継の視聴率が30%を超えることは珍しくありませんでした。

「若者の政治無関心」の本当の理由

若者が政治に関心を持ちづらいのは、まず第一にプレイヤーの多くが高齢であり、若者にとって共感の対象となりにくい、ということと、第二にルールが複雑で分かりにくいことが挙げられると思います。

「若者の政治無関心」は危機的なのか?

下のグラフを見てください。

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https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/kako/63.html より引用)

こういったグラフを見るとき、気を付けてほしいのは、人はみな年々歳を取っている、ということです。

例えば、平成8年、第41回の総選挙の、20代の投票率を見てください。30%代後半と、非常に低い数値になっています。ところが、その9年後の、平成17年、第44回の総選挙の、30代の投票率を見てください。なんと60%まで上昇しています。つまり、平成8年=1996年にはたったの40%弱しか投票してなかった人たちが、平成17年=2005年には60%も選挙に参加しているのです。

つまり、若い時に政治に関心がなくても、ある程度年齢を重ねれば、みな自然と政治に関心を持つようになるのです。

「投票率が高い高齢者向けの政策が優先され、若者が得をしない税金の使い道が増える」は本当か?

これは証明のしようがないですが、はっきり言って相関関係は疑わしいと思います。まず、若者の投票率が上がれば、たとえ白票であろうとN国党に投票しようと若者の意見が通りやすくなる、みたいな説は、胡散臭いと思います。それに高齢者だって子や孫がいるのに、自分たちだけ美味しい思いをできれば子や孫は苦しんでも良いとは思ってないでしょう。

「アメリカでは、業種間・地域間・階級間などの格差が大きく、社会の安定度が低いため、政治について多く語られる」は本当か?

まず、「格差が大きい」「社会の安定度が低い」という時点で、アメリカは「ダメな見本」のようにしか思えませんが、1つ事実を挙げると、アメリカの大統領選挙や中間選挙の投票率は、日本と比べても低いです。4年前の大統領選挙の投票率は55.3%に過ぎませんし、2年前の中間選挙に至っては49.3%と低調な数字ですが、なんとこれが、100年ぶりの高水準だというのですから驚きです。これが本当に「政治について多く語られる国」の姿なのでしょうか。イメージと実情に大きな差があるような気がします。

アメリカの中間選挙の投票率はたったの49.3%

「学校の先生はリスク回避の意識が強く、踏み込んだ政治の話を避ける」は本当か?

高校までに限定するなら、これは事実と言えると思います。しかし、大学はどうでしょう?山口二郎や白井聡といった事例を見れば、みなさん自由に政治の講義をしておられることがよくわかると思います(笑)

政治家の行動や発言が、私たちの生きる社会とは別物だと思わせる

世界的に見れば日本は平和な国で、日本にいる私たちもそう感じています。周囲にあわせて過ごしていれば、争いもなく静かに暮らしていけると思っている人が多いです。未来の平和よりも、自分が今の平和な空気を壊してしまう方が恐ろしいことなのでしょう。

これは、おっしゃるとおりだと思います。周囲の国(中国、韓国)にあわせておけば、争いもなく静かに暮らしていけると思ってる馬鹿が非常に多いです(特に憲法9条を信奉する人たちに)。

日本人は、これまで政治の議論を繰り広げてきた長い歴史がある

(前略)現代では1960年代末~70年代初頭の第二次安保闘争のときです。

将来を大きく左右する政治決戦時、日本の国民は大きく議論し、行動しました。それぞれの時代で庶民が政治と向き合ってきたからこそ、今の日本があるのです。

安保闘争を美化するのは間違いでしょう。どう考えても安保闘争は間違っていたし、彼らの言うとおりにしていたら日本は今ごろは北朝鮮のような国になっていたかもしれないです。しかも、日本赤軍や中核派、革マル派などの過激派は安保闘争から生まれており、その後、数多のテロ事件を起こしたにも拘わらず、未だ何の反省もしておりません。

こういった人たちが常々「日本は過去の戦争を反省していない」とか言うのを聞くにつれ、薄ら寒い気持ちになります。まずおまえらが、日米安保に反対したことは間違ってたと反省して、過激派のテロ行為を生んでしまったことを猛省するべきでしょ。

それをやらないから左派は信用できないのです。

未来のための選択を他人任せにするな。

これは本当にそのとおり。中島みゆきがTOKIOのために書き下ろした「宙船」の歌詞にも

お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな

というフレーズがありますよね。そう。他人任せにしちゃいけないのです。

……あれ?選挙ってそもそも、「誰に政治を任せるか」を決めるものですよね。

例えば、安倍前総理や、菅総理は、私から見たら他人です。しかし、枝野代表や志位委員長も、やはり私から見たら他人です。ていうか、政治家なんて全員他人です。

この理論を突き詰めていくと、無政府主義かリバタリアニズムに走るしかありません。結局、どこかで折り合いをつけて、ある程度は政治を誰かに委託するしかないのです。

投票率が高いと未来は明るいか?

これは繰り返し何度も言ってますが、ヒトラーが勝った選挙の投票率は88.74%です。ありえないくらい高いですよね。

この事例を見ても分かるように「投票率が高ければ良い」という単純思考はとても危険です。

なぜ昔の投票率は高かったか

上のグラフに戻って見ると、昭和から平成に移ったあたりで急激に投票率が下がってますよね。これに関しても私は一考察を書いてますのでぜひご覧ください。

簡単に言えば、相互監視や替え玉投票などの不正が横行した結果の高投票率だった、という話です。つまり、投票率が下がった平成のほうがよっぽど民主的であり、事実として、平成の時代に、選挙による政権交代が3度起こりました。ちなみに3度目というのは野田政権から安倍政権への政権交代のことです。

声を挙げるのは良いけれど……

私の経験上「声を挙げろ」という人たちは、なぜか大体、左側のイデオロギーの人たちが多いです。そして、私が彼らに対して反対の声を挙げると「ヘイトだ」「ネトウヨ」「政権擁護」「自民党工作員」「ファシスト」などの罵詈雑言が飛んできて、ブロックされるのが関の山。

そういう経験を物凄く沢山してきたので、私はどうしても「声を挙げろ」という人たちのことを信用できなくなってしまっています。

声を挙げるのは自由だよ、でも声を挙げない自由もあるし、誰かが挙げた声を批判する自由もあるよ。あなたが挙げた声を私が批判することだって、もしかしたらあるかもしれません。でも、批判を恐れないでください。声を挙げるのも、声を挙げないのも、あなたの自由です。

うむ、我ながら良いことを書いてある(笑)。そう、「声を挙げろ」と言われて声を挙げる人なんていないんですよ。

なので私は「声を挙げろ」とか「政府を批判しろ」などと言った主張は何も主張していないに等しいと考えます。

そもそも、何か言いたいことがあるのなら、他人に言わせようとしないで、自分が言えば良いのです。「俺はこう思う!みんな賛成してくれ!」これが、正しい声の挙げ方じゃないでしょうか。

俺を含め誰の言うことも聞くなよ

最後は、竹原ピストルの名曲のフレーズで締めたいと思います。そうです、「声を挙げろ」なんて言ってる無責任な大人の言うことなんか聞いちゃいけないし、マスコミの無責任な政権批判も鵜呑みにしちゃいけません。もちろん、政権の言うことを鵜呑みにしろと言ってるわけではありません。政権に向ける疑いの目を、せめて3割程度でも良いですから、マスコミや政権批判勢力に対しても、向けてみてください。すでにマスコミや批判勢力に疑いの目を向けている人たちは、ネットメディアやSNSにも疑いの目を向けてみてください。全てを疑い、だけど全てを全否定はしないことが大事だと思います。全否定ってのは、「それが間違いであることを100%信じる」ということですから、全肯定と同じなのです。



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