ジェンダー平等論者は上のほうしか見てない。

まず最初に、「平等か公平か」ってタイトルが気になります。これじゃ、わかりにくい。

私なら「機会平等か、結果平等か」ってタイトルにしますね。文字数は少し増えるけど、このほうが伝わりやすいのでは。

それと、ジェンダー平等を「達成すべきゴール」って書かれてますけど、そもそもこの手の問題にゴールなんてあるんでしょうかね。所詮、人類の営みなんて、何かを解決すれば別の何か新しい問題が現れる、の繰り返しだと思うのですが。

もちろん、だからと言って問題が目の前にあるのに何もしなくていいと言うつもりはありません。ですが、ジェンダー平等が絶対に正しいとする根拠って何でしょう。もちろん非合理的な差別を排除するべきなのは分かりますが、何でもかんでも男女平等が良いとは思わない。例えば力仕事を女性にさせるべきかというとそうは思わないし、或いは男性ベビーシッターは全くいないわけじゃないでしょうけど正直あまり求められてないですよね。

あと、ジェンダー平等を声高に叫ぶ人たちに共通しているのが「上のほうしか見てない」ってことです。国会議員の数を同じにしろ、管理職の数を同じにしろ、大学教授の数を同じにしろ、etc……。どういう人たちがジェンダー平等を声高に叫んでいるかバレバレじゃないですか?

進歩的で、意識が高くて、出世欲が強くて、発信力の高いノイジーマイノリティーが叫んでるだけ、というのが実態なのではないかなあ、と想像します。しかし、進歩的であることは正しさを保証しませんし、意識の高さは知性の高さを保証しませんし、出世欲の強さは仕事の有能さを保証しませんし、発信力の高い人が過去に世論を誤らせてきた事例は枚挙に暇がありません。

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私は、ジェンダー平等の議論でこのイラストを持ち出してくることに強い違和感があります。この人たちは、別に仕事をしているわけではありません。単に野球観戦をしているだけです。彼らは何の義務も負っていません。

そもそも、チケット代も払わずに野球観戦している時点でどうなの?って思いますが、そこは本題とは関係のない単なる揚げ足取りになってしまうのでスルーします。

つまり、ジェンダー平等論者は、管理職に就いたり国会議員になったりすることを、野球観戦することと同じ感覚で考えているということでしょうかね。もしそうだとしたら、そんな人を管理職や国会議員にするわけにはいかないですよね。会社や国が壊れてしまいます。

管理職や国会議員に求められるものは性別ではなく能力と自己犠牲の精神です。国会議員の数が、男が8割だろうが女が8割だろうがそんなことはどうでもいい。問題は政治家として何をするか、ですよ。有権者の数は男女半々なのだから、仮に女性議員が8割になったとしても私はそれを多いとは思いません。その女性たちが政治家として落第点であれば次の選挙で落選させるだけです。

クオータ制がいかに間違っているかを知るには、ミャンマーの事例を見れば分かります。クーデター前のミャンマーは、国会の議席の25%を、選挙結果とは無関係に軍に与えるという「クオータ制」が実施されていました。普通に考えておかしいですよね。「軍」を「女性」に入れ替えたらどうしてそれが正しくなるのでしょう。やろうとしていることは同じではありませんか。


女性の管理職が少ないのは、若者の管理職が少ないのと同じ理由ですよ。管理職になるためには、それ相応の能力とキャリアが必要になります。キャリアを積むんは時間がかかる。これまでキャリアを積んできた女性ってのは絶対数が少ないのだから、急に女性の管理職を増やせと言ってもそんなのは無理な相談です。若い女性は昔に比べたら差別されることも少なくキャリアを積めるでしょうから、将来的には女性管理職も増えるはずだ、と、どうして信じて待つことができないんでしょう。

そもそも、この手のジェンダー平等論者は「女を起用しろ」「女を抜擢しろ」「女を選べ」というだけで、女性が選ぶ側、起用する側に回るってことは全く考えてないですよね。選ぶ側に回るなんて簡単ですよ。自分で起業する。あるいは株を沢山買って議決権を持つ株主になる。女性の大口投資家って少ないですよね。それって誰のせいなの?誰かが女性の投資に制約を課してるとでも?

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女だから、強要される。
女だから、無視される。
女だから、減点される。
女であることの生きづらさが報道され、
そのたびに、「女の時代」は遠ざかる。

今年はいよいよ、時代が変わる。
本当ですか。期待していいのでしょうか。
活躍だ、進出だともてはやされるだけの
「女の時代」なら、永久に来なくてもいいと私たちは思う。

時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは一人ひとりがつくる、
「私の時代」だ。
そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。

わたしは、私。

2年前に炎上してしまったこの広告ですが、私はこの広告のメッセージを支持します。「男女半々にしろ」とか「クオータ制にしろ」とか「アファーマティブアクション」とか言っているうちは、「女性が活躍する時代」なんて永久に来ないと思います。クオータ制にしたところで、結局は数合わせのために女性が並べられるだけで、それ以外に何も変わりゃしませんよ。この広告が炎上してしまう社会に女性の未来はありません。

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