クーデターを阻止するためにも、自衛隊を軍隊にすべきではない。

思わず笑ってしまうほど非論理的な主張。

かつて、三島由紀夫は、自衛隊に決起を呼び掛けたが、自衛隊は応じなかった。

なぜか?

憲法9条があるから。

あほぬかせ(笑)

憲法9条なんて違反しても何の罰則もない。

第一、クーデターに成功してしまえば憲法9条を破棄できる。

もちろん失敗すれば憲法9条違反罪には問われないが様々な刑法犯罪として処罰・投獄されることにはなるが。

では、なぜ自衛隊は三島の呼びかけに応じなかったのか。

そんなもん簡単だ。クーデターを起こすインセンティブもなければモチベーションもなかったから。ただそれだけ。

軍と言っても所詮は人間の集まりだ。一枚岩ではない。

一枚岩ではない集団を一枚岩(っぽい集団)にするには、規律と統制が必要だ。三島は所詮、自衛隊にとっては一介の部外者、侵入者にすぎない。そんな人物が、自衛隊の統制権を握れるわけがない。

自衛隊員たちは、そもそも三島の演説を聞いてすらいなかった。三島が喋っている間、自衛隊員たちはずっと三島に罵声を浴びせ続けていたのだ。

小難しい言い方をすれば、自衛隊員は、誰一人として三島の統制下に入ろうとしなかった、ということになる。

じゃあ、戦前はどうか。2.26事件という、小学生でも学校で習う超有名なクーデターが起きた。が、失敗した。

なんで失敗したのか?同じ「軍に」によって鎮圧されたから。

つまり、軍の規律と統制が崩れたからだ。

そして、クーデターの首謀者たちが排除されたことで、軍は(一応)、規律と統制を取り戻した。

では、ミャンマーはどうか。

やっていることは全く擁護できないが、軍の中から裏切り者が出ないということは、(悪い意味で)軍の規律と統制が取れてしまっている、ということだと思う。もちろん、それは恐怖による統制なのかもしれないが。

そして、軍の規律と統制は、軍の内部では有効にはたらいているが、国民に対してははたらいてない、というのが、今のミャンマーの現状だと思う。

ミャンマーが今後、どうすれば落ち着きを取り戻せるのか。3つの着地点があると思う。

①国民が白旗を揚げ、軍門に下る

要は、軍政を認めるということ。これは、民主政を諦めるということでもある。国際的な非難は止まないだろうが、とりあえず騒乱は収まる。

②軍から裏切者が出て、国民が勝利する

ミャンマー国民は勇敢に戦っているが、ぶっちゃけ丸腰で軍隊に勝てるはずがない。唯一、国民が勝つ方法があるとすれば、軍内部から裏切り者が現れて、国民の側に付くことだ。ただし、裏切り者の数が十分に多くない場合、逆に鎮圧されてしまうか、あるいは本格的な内戦に発展してしまう可能性もある。

③PKO部隊あるいは有志連合等がミャンマー軍を制圧する

究極はコレ。ただし、どこの国も戦費を負担したくないだろうし、第一、中国がどう出るか分からないから、多分やらないだろう。

さて、話が逸れたので、元に戻る。

 これが、軍隊を持つ怖さである。国民が望んでいない軍政を押し通し、私利私欲で民主主義を破壊するのが軍隊である。それは、旧日本軍が示している。沖縄を捨て石にし、日本国民に一億玉砕を命じた日本軍。守るべきは天皇であって、国民ではなかったのである。そんなに天皇陛下が好きなら、ボディーガードでもしておけ!日本軍を名乗る資格はない。国民の命を守らない軍隊に、存在価値などないのである。

まず前半。「国民が望んでいない軍政を押し通し、私利私欲で民主主義を破壊するのが軍隊」というテーゼが、仮に真だと仮定しましょう。しかし、軍隊は日本だけに存在するわけではありません。かつて日本は、アメリカ軍の軍政下に置かれたではありませんか。本土は7年弱、しかし沖縄は27年間も軍政が敷かれた。もちろん、それは日本軍が先に戦争を仕掛けた結果かもしれません。ですが、日本軍が先に戦争を仕掛けなければ、そういう状況は絶対に起こりえないか、というと、そんなことはありません。ロシア軍や中国軍が日本を制圧して軍政を敷く可能性だって十分ありえます。もしも日本が軍備を放棄すれば、100%必ずそうなるでしょう。

次に後半。この部分は「国民の命を守る軍隊には、日本軍を名乗る資格がある」という解釈もできますね。だったら、自衛隊を憲法に書き込むことに何の問題があるというのでしょう。別に、名前は自衛隊のままで良いと思います。名前なんかどうだって良いんです。国防軍と名乗ろうが、日本軍と名乗ろうが、やることは同じなのですから。名前よりも、何をするかが大事。

少なくとも、自衛隊は国際社会では軍隊と位置付けられています。にもかかわらず、日本の憲法では、軍隊の保持が禁止されている。これは、外国から見たら、日本政府は憲法を守らない国家に見えます。自国の憲法すら守らない国の政府なんて、信用できますか?日本は、憲法9条を持っているがゆえに、外国から信用ならない国だと思われているのです。

 それをわざわざ、米軍と一緒に戦うために、憲法に明記し、軍隊にする必要など全くない。米軍の参戦要求を断れなくなる自殺行為である。

この考え方が、時代遅れすぎますね。いつまでベトナム戦争当時の感覚でおられるのでしょう。もはや今のアメリカは、対外戦争など望んでいません。オバマ政権もトランプ政権も、海外に展開する米軍を、どんどん縮小、撤退させています。アメリカは中東の石油などなくても、シェールガスがいくらでも取れるのようになったので、もはや中東に関与する理由がなくなってしまったのです。つまり、イラク戦争当時とでさえ、状況が違ってきているのです。

そして現在、日米同盟から、日米豪印4ヶ国同盟へと発展させようとしています。これは、かつて日英同盟が日米英仏の4ヶ国条約に発展という形で同盟を解消したときのことを彷彿とさせます。要するに、インド太平洋地域の安全保障を日本、オーストラリア、インドに押し付けて、アメリカはこっそり足抜けするつもりなのかもしれません。

とすれば、これは「米軍と一緒に戦うため」ではなく「米軍が戦ってくれないので」憲法に明記し、軍隊にする必要があるのではないでしょうか。結局、日本が自衛隊を軍隊にしなければ、アメリカは在日米軍を撤退させて、代わりに中国軍が進駐してくることになります。

そうならないようにするには、どうしたら良いでしょう。

在日米軍の撤退は、もちろん今すぐというわけではないですが、ひょっとしたら10年後とか、5年後とかにあったとしても、おかしくないと思います。もちろん、ひょっとしたら、ですが。そうなったとき、自衛隊は、米国なしでも日本国民を守れる体制を整えておかなければなりません。いや、現在だって、米軍は米国議会の承認がなければ動けません。米軍が議会の承認を取り付けるまでの間は、自衛隊が独力で持ちこたえなければなりません。

確かに、日本に軍隊がなければ、日本の軍隊が国民に銃口を向けることもないでしょう。ですが、それは「恋愛しなければ失恋することもない」と言ってるようなものです。「就職しなければ失業することもない」と言ってるようなものです。「行動しなければ失敗することもない」と言ってるようなものです。

なぜ、人口100万人未満のミニ国家を例外とすれば、どの国も軍隊を放棄していないのか、それをちゃんと考えなければいけません。「コスタリカには軍隊はいない」と言う人がいるかもしれませんが、現実には、武装警察がいます。一応、警察なので国外へ戦争にいくことはないかもしれませんが、アメリカと同盟を結んでおり、有事の際は米軍に頼ることになってます。また、有事の際には国民を徴兵することも可能となっています。要するに、常備軍がいないというだけであり、軍隊の必要性そのものを否定しているわけではないのです。

確かに、日本に軍隊がなければ、日本の軍隊が国民に銃口を向けることもないでしょう、と先ほど書きましたが、現実には自衛隊が存在しており、自衛隊は銃を持っているのですから、自衛隊が国民に銃口を絶対に向けない、という保証はありません。憲法なんて、クーデターに成功してしまえば無効化できますから、クーデターを抑止することはできません。現在、自衛隊によるクーデターを抑止しているのは、憲法ではありません。教育によって培われた、日本国民の倫理意識、規範意識の高さの賜物以外のなにものでもありません。憲法9条はむしろ外国に対して嘘を付いているという意味で、非常に不道徳で不誠実な条項だと私は思います。

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