「解決策よりも共感」災害対応を批判する人たち。

この人だけじゃないけど、この手の「中身のない批判」があまりに多すぎますね。この人たちの言ってることの共通点として、具体的に「〇〇をしろ」という要求がない。「災害対応」という抽象的な印象操作に終始していることです。

顔なんか見えなくて良いんですよ。首相や官房長官は災害のプロじゃないんですから。レスキュー隊員じゃないんですから。だいたい、菅元総理なんてわざわざ福島まで行って何しました?災害時に顔を見せたがる政権のほうがよっぽど信用できません。首相や官房長官は、何があっても連絡が取れるようにさえしておけば、顔なんか見せる必要はない。朴槿恵さんみたいに7時間も連絡が取れないとかだと、さすがにそれはダメでしょうけど。

おそらく、緊急時の首相の行動が叩かれるようになった嚆矢は、この「えひめ丸転覆事故」のときではないかと思います。そう、緊急時なのに森元首相がゴルフを楽しんでた、という報道でした。

事故や災害が起きた時に総理大臣が先頭に立って陣頭指揮をしないことを叩くのって、要は不謹慎厨と同じマインドなんですよ。お葬式なのに涙を見せないのはけしからん、的な。或いは、ブラック企業の経営者と同じマインドでもありますね。先輩がまだ残業して頑張ってるのに先に後輩が帰宅するなんてけしからん、みたいな。つまり、彼らは解決策を求めているのではなく、共感を求めているだけなのです。だから合理性のない批判ばかりになるのです。小池百合子東京都知事が豊洲市場問題のときに言ってた「安全より安心」みたいな論理も、解決策ではなく共感を求める論理ですよね。

古代において、大きな災害が起こると、それは為政者の徳がが足りないからだ、と批判されたそうです。現代社会でそういうオカルトっぽいことを言う人はあまりいないと思いますが、災害にかこつけて政権批判をする人というのは、そういうシャーマニズム的マインドを持っている可能性もありそうです。

実際問題、史上最大規模の台風だと事前にアナウンスされていたのに、そして実際にアナウンス通りの大型台風だったのに、犠牲者の数が狩野川台風や伊勢湾台風よりも2桁も少ないというのは、もちろん技術や経験の蓄積が一番大きいとはいえ、政権の対応としては合格点だと思うのですけどね。政権批判をする人は結果よりも姿を見せることを要求するし、あるいは犠牲者がゼロじゃないことを批判する。犠牲者ゼロなんてどんな政権だって無理でしょ。

人の命を「費用対効果」で切り捨てるゼロリスク信者

堤防の増強が議論になるだろうが、公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ。台風の強大化や豪雨の頻発は地球温暖化との関連が疑われ、堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない。人口減少が続くなか、費用対効果の面でも疑問が多い。

失われた20年とか30年とか言われてるのに、いまだに公共工事を増やすなと言ってる人はなんなんでしょうね。しかも「水害を防げる保証はない」って、そんなの当たり前。こういうゼロリスクマインドってどうにかならないのでしょうかね。人の命を「費用対効果」で切り捨ててしまって良いのでしょうか。

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