弱者男性が「幸せになれない理由」よりも「幸せになれる方法」を語るべきでは?

この記事を読んで、元記事は確かに藁人形論法だけど、しかし当たらずとも遠からず的な面もあるのではと思い、私なりの観点から記事を書いてみようと思った。ちなみにこちらが元記事。

まずこの

「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由

というタイトルだが、確かにその通りだと思う。誰かを叩いても決して幸せにはなれないというのは大きな真理だ。だが、同じことは自称フェミニスト達にも言えるはず。近頃「キャンセルカルチャー」という言葉が話題になるほど、自称フェミニスト達による中高年男性叩きやオタク・陰キャ叩きが苛烈さを極めている。彼らは、あくまでも「批判だ」という認識なのだろうが、明らかに度を超えた誹謗中傷は少なくない。もちろん、それは「お互い様」なのだろうが、であるなら、せめて双方を批判するのが正しいのではないだろうか。「私たちがすれば批判、だけど私たちにされるのはバッシングや誹謗中傷」というのはネロナムブルであり、筋が通らない。

また「フェミニスト」と「女性」は同じではない。わざわざ分けて書いてるからクリッツァー氏は区別がついているのかもしれないが、並べて書くと読み手には「フェミニスト≒女性」というイメージが強化されるように思える。

弱者男性論の特徴のひとつは、自分たちのつらさが世間から無視されているという点を強調することにある。彼らは、「左翼」や「リベラル」は女性や性的マイノリティ、外国人や子どもや動物などわかりやすい弱者には配慮する一方で、健常な成人男性が抱えている苦しみのことには気にもかけない、と指摘する。

この指摘は、概ね事実なのではないか。「事実」というのは、弱者男性がそのように訴えているということが事実ということと、実際に彼らは世間から無視されているという点で、二重の意味で事実だということ。

これは、白人弱者がトランプ氏を支持した現象と似ているが、それはトランプ氏が白人弱者を煽動したからそうなったのではなく、白人弱者の不満が鬱積したところにトランプ氏がたまたまフィットしただけであって、トランプ氏自身は白人ではあっても弱者でもなんでもなく有名な富豪だ。

つまりトランプ氏のような扇動者が存在しなくても「弱者〇〇」は存在しうるのであって、実際に弱者男性におけるトランプ氏のような扇動者は見当たらないが、弱者男性の不満は鬱積している。クリッツァー氏は、ひとまずこの事実を受け入れるべきではないだろうか。

また、弱者男性論者たちは「かわいそうランキング」や「お気持ち」という言葉を好んで用いる。リベラルが女性やマイノリティのことを気にかけるのは、マジョリティの男性よりも彼女たちのほうが「かわいそう」という感情を他人から惹き起こすことができるためであり、リベラルたちは口ではどんな理論的な言おうともほんとうは不合理な「お気持ち」にしたがって救済や配慮の対象を恣意的に選択している、と彼らは主張する。

このクリッツァー氏の認識は誤り。「お気持ち」の正しい意味は、自称リベラルや自称フェミニストのよる、彼らの批判対象への物言いに合理性がなく、単に「難癖」「おまえが気に入らないだけだろ」レベルの物言いに終始していることを揶揄する言葉であって、救済対象を恣意的に選択している云々についてではない。

また、弱者男性論者たちは「リベラル」以上にフェミニズムに対して批判的な立場をとる。彼らは、女性の「幸福度」は男性よりも高いという調査結果があることや大半の女性は男性に比べて異性のパートナーに不足していないことなどを指摘しながら、女性のつらさは男性のそれに比べて大したものではない、と主張する。そして、女性に有利になるような制度改革やアファーマティブ・アクションなどの必要性を論じるフェミニズムの主張を批判するのだ。

ここは、いくつかに分けて議論しなければならないが、まず最初の「弱者男性論者たちは「リベラル」以上にフェミニズムに対して批判的な」という部分はよくわからない。三浦瑠麗さんのような保守のフェミニストもいないわけではないが、圧倒的に少数派であり、リベラルとフェミニズムをあえて区別する必要はないと思う。

次に、「女性の幸福度~不足していない」の部分は後ほど大事になってくるので覚えておいてほしい。

次に「女性のつらさは男性のそれに比べて大したものではない、と主張する。」については、確かにそのような主張をする人も、残念だが、いないわけではない。しかし、全員ではない。そもそも、女性のつらさと男性のつらさは種類が違うのであって、どちらが上とか下とかそういう問題ではないと思う。

最後、アファーマティブアクションについては批判があるのは当然であり、批判者は別に「弱者男性論者」に限定されるわけではない。

冒頭で述べた通り、弱者男性論は主にインターネットの世界で展開されている。目立っている弱者男性論者の大半はブロガーであったりツイッタラーであったりする。つまり、アカデミックな世界ではなく、アマチュアの世界でおこなわれている議論であるのだ。

(中略)

しかし、昨今の男性学には、「男性のつらさ」という問題を正面から扱えない傾向がある。

(中略)

これに影響を受けて、男性学でも、男性のつらさを解決することを目指す議論ではなく、男性の特権を自覚することを促すような議論が目立つ。

上述のような状態に男性学がなっているために、アカデミックな世界では「男性のつらさ」という問題を取り上げることが難しくなっている。だが、実際に多くの男性は「つらさ」を感じている。結果として、アマチュアの世界でなされる弱者男性論の需要が高まっている――そうした側面があると私は考えている。

要するに、アカデミックな世界では「男性のつらさ」は無視されている、ということを長々と言い訳しているだけである。

なので、私は荒井禎雄さんのように、クリッツァー氏がアカデミーを盾にマウントを取ろうとしている、とは感じなかったが、「男性のつらさは学術的に無視されている」という現実をちゃんと認識しておられるなら、それに対する批判なり改善策なりを提示するべきなのではないか。

それをせずに、「アカデミックな世界では弱者男性のつらさは無視してるよ。素人が弱者男性のつらさを訴えても意味ないよ」とだけ言っても誰も幸せにならんよね。

それでは、弱者男性論は「男性のつらさ」を解決するための有意義な議論をおこなえているのだろうか?

結論から言うと、わたしには、かなり疑わしく思える。弱者男性論の多くは、男性のつらさの原因は「女性」にあるとして、女性たちの問題や責任を述べ立てることで女性に対する憎しみや敵意を煽ることに終始しているからだ。

この指摘は、私は的を射てると思う。でもこれ、「男性」と「女性」をそっくり入れ替えても全く同じことが言えますよね。なんで気付かないんだろう。自称フェミニストの物言いは、全てとは言わないですが、7割ないし8割は男性憎悪の言葉によって紡がれてます。

たとえば、弱者男性論者がよく取り上げるトピックに「女性の上昇婚志向」がある。統計的にみて、女性は自分よりも年収が高い男性を結婚相手に選びたがり、いくら自分の年収が高くても自分より年収が低い男性とは結婚したがらない傾向がある。

(中略)

そして、年収が低い男性が感じるつらさの原因を女性の上昇婚志向に求めて、女性たちは年収の低い男性とも結婚するように選択を改めるべきだ、と論じるのである。

まず、前半についてはクリッツァー氏も認めているように、学術的に認められた事実です。それに対して後半は単なる一個人の意見です。そう主張する人もいる、というレベルの話。

弱者男性論者たちの議論の問題点は、「女性」という属性(もしくは集団)に統計的・平均的に備わっている傾向の責任を、個人としての女性たちに負わせようとする、ということにある。「だれと結婚するか」という選択は個人に委ねられるべきことであり、実際に現代の社会では婚姻の自由は基本的人権として保障されている。また、女性が結婚相手を選択するときには相手の年収も考慮するかもしれないが、それと同時に、人格や相性や容姿などの他の要素も考慮しているだろう。

これも別にこの意見には特に反論はないんだけど、じゃあ結局、「弱者男性」をどのように救うのか?という提案が何もないよね。傾向として女性に上昇婚志向があることは疑いようのない事実なのだし。それは、男性が女性に対して「若さと容姿」を求める傾向にあるのと似てるが、こちらに関しては「ルッキズムをやめろ」というムーブがフェミニスト界隈に存在するわけで。さすがに「男はブスと結婚しろ」と主張する人はおそらくいないので「女は貧乏男と結婚しろ」と主張するのは明確に間違いなのだろうけど、男女平等主義と恋愛至上主義が今の少子化を招いているという点についてはクリッツァー氏は何も解決策を語ってくれていない。

弱者男性論の最大の弱点は、「男性のつらさ」という問題を取り上げながらも、その問題に真正面から向きあって解決する議論をおこなわないことにある。代わりに弱者男性論でおこなわれているのは、「女性」(または「フェミニスト」「リベラル」)という属性を仮想敵にして、自分たちのつらさの原因はすべて彼女たちに責任があると主張することで、弱者男性である読者たちの溜飲を下げさせるための議論だ。

真正面から向き合ってないのはむしろクリッツァー氏であって、彼は「女性の幸福度は男性よりも高い」ことも「女性は男性に比べて異性のパートナーに不足していない」ことも「女性に上昇婚志向がある」ことも、すべてアカデミックな立場から認めており、なおかつ「アカデミックな場では男性のつらさに対する研究が避けられている」という弱点までをも認めていながら、なんらそれに対する改善策を提案しないで、ただ「弱者男性論者」とやらを非難しているだけである。正直、彼が何を言いたいのかよくわからない。

仮想敵を名指しして非難するタイプの議論は読者を惹きつける。しかし、そのような議論には必ず副作用が存在する。

この点については全く同意だが、仮想敵を名指しして非難するタイプの議論を積極的に行っているのはむしろ自称フェミニストのほうであり、例えば森氏や佐々木氏らに対するバッシング、タレントの岡村隆史氏や小木博明氏へのバッシング、その他このような類例は挙げたらキリがない。さらには彼らの攻撃対象は男性だけにとどまらず、フェミニズムに理解があるはずの三浦瑠麗氏やタレントの春名風花らにも及び「名誉男性」などというレッテルを貼って集団リンチにする。あるいは、たかまつなな氏がフェミニストを少し批判しただけで「トーンポリシング」などと言って袋叩きにする。

こうした行為を「フェミニスト」全体の罪だとしたくないのであれば、名指しで批判する以外ないだろう。これを名指し批判するなというのであれば、その罪はフェミニズム全体に被っていただくよりほかない。

フェミニストは、都合がいいときは「個人を名指しして叩くな」と言うが、都合が悪くなると「フェミニズムは一人一派」と言って逃げる。これが「アカデミック」な批判に耐えうる学問だと言えるだろうか?

さらに、女性という属性に統計的・平均的に備わっている、男性にとって都合が悪かったり不利益となる特徴ばかりを取り上げて強調する弱者男性論は、それに触れる男性たち自身にとっても有害なものとなり得る。憎悪という感情は、それを向けられる対象でなく、憎悪を抱いている本人をも傷付けてしまうもの

ここも、「男性」と「女性」をそっくりそのまま入れ替えても成立する。

弱者男性論ばかりを読んできた男性は、自分が実生活で関わる生身の女性たちに対しても、「こいつは上昇婚志向を持っており、年収の低い男性には目もくれない、強欲で自己中心的な人間なのだ」という風に偏見の目を向けるようになってしまうかもしれない。

ここも、「男性」と「女性」をそっくりそのまま入れ替えても成立する。というか、既にそうなっており、フェミニズムとミサンドリーはもはや同義語と言っても過言ではない状況にある。

「女性」という属性に対して憎悪を抱いている人が、目の前にいる女性をひとりの人間として対等に扱い、健全で有意義な友情関係や恋愛関係を築くことは困難だ。とくに若いうちから弱者男性論にハマってしまった男性は、女性と豊かな関係を築いてさまざまな経験をするチャンスを、自らフイにしてしまうことになりかねない。

おっしゃる通りだが、完全に対等な人間関係というのは、ないとは言わないが難しいと私は思っている。「亭主関白」とか「かかあ天下」などという言葉が昔からあるように、別に憎悪の感情などなくても、親愛の情を持っていても人間が二人いれば大抵優劣が生まれるし、それは同性間であってもそうだ。例えばオリエンタルラジオの二人は中田敦彦がリーダーで藤森慎吾が追従者であるように。もちろんリーダーと追従者の関係が絶対不変というわけではなく、ケースバイケースで入れ替わることはあっても、基本的にはどちらかがリーダー的な立場になる。

古き悪しき(?)昭和の男尊女卑社会においても、家に帰ったらかかあに頭が上がらない、なんて男は大勢いたわけで、ひとりの人間として「対等に」扱うことが、健全で有意義な愛情の必須条件とは言い切れないと思う。もちろん「憎悪」はダメだが、「対等」には、そこまで厳密にこだわる必要はないのではないかと思う。

先述したように、この社会には女性差別がいまだに存在している。女性に対する差別は、制度に関わるものであることが多い。つらさの原因が制度的なものである場合には、個人でどう対応してもつらさは解消しきれない代わりに、制度を変えることでつらさの原因に根本から対処することができる。たとえば、入試のルールを公正にする、採用や昇進の際に男女で差別をおこなわないといった対応が考えられるだろう。

私はこの考え方に同意しない。制度だけ直せば女性差別がなくなる、なんて考えは甘いと思う。また、制度的というが、例えば婚姻時の姓の変更について言えば、現行法でも制度上は男女平等だ。ただ単に結婚する男女の96%が男性側の姓を選択しているだけである。残り4%は女性の姓を選択している。これを「制度上の不平等」とは言えまい。東京医大の入試については、そもそも制度上の不平等などではなく、入試そのものがルール違反だったにすぎない。採用や昇進についてだって、性別を理由にせずとも幾らでも別の理由で女性を排除することはできる。そうした差別を制度設計だけで無くせる、という考え方は、人間について、あるいは社会についての考察や見識が不足していると思う。

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