検察は国民感情に従うべきなのか?

こちらの記事、とても興味深いことが沢山書かれていてオススメです。しかし、記事は良質ですが、では境治さんの意見に賛成か?と言われれば、私は賛成しかねる点がいくつかありました。

まず第一に「 #検察庁法改正案に抗議します 」というTwitterデモを賛美し、感動までしちゃっている点に強くひっかかります。法案への賛否は別として、あのデモでは大小さまざまなデマが流布されました。その様子は昨年末のトランプ支持者たちによるデマの拡散と、私の目には重なって見えました。また、結果的にデマには与しなかった参加者たちも、法案について十分な知識を得ず、単に党派性で付和雷同している人たちが多かったように見見えました。そして何より、国民から大きく注目を集めるような法案でもなかったのに(事実、Twitterデモ前日まで全くトレンド圏外でした)、僅か一晩にして一気にトレンドのトップに立つという不自然さ。深夜に集中的にツイートがなされた証拠も数多く挙がってます。要するにこれは自然発生的な民意ではなく、作られた民意なのです。こういう大衆煽動の手法は、今後も応用されて使われると思います。野党だけではなく与党もこの件から学んでいるでしょうから、次は逆に野党がやられるかもしれません。どちらにしても、民意が一部の扇動者たちによって右から左へ、あるいは左から右へと流されいくことは、とても危険です。

次に、森友問題で佐川元国税庁長官を不起訴とした件で「国民感情と距離のある不起訴の判断を検察全体でしてしまった。私たちの信頼を損なう判断だった」と書かれておりますが、そもそも検察は法に拠って判断すべきであって、国民感情によって法を曲げるようなことがあってはならないはずです。厳密に言えば佐川氏は明確に法を犯しており、起訴要件は満たしていたので、検察が佐川氏を起訴しても別に法を犯したことにはなりませんが、どうせ起訴しても微罪ですし、国民感情を満たすために起訴する、あるいは起訴基準を曲げる、というのは、司法の精神に悖るものです。日本は「情治主義」ではなく「法治国家」であるべきです。

「検察と国民の関係は、笛美さんの呼びかけがきっかけで政権に奪われずにすみました」という主張にも違和感があります。国民は検察の人事に直接介入することができません。もしもできるとしたら、選挙によって検察の人事に介入する政治家を選ぶしかありません。つまり、政治家のほうが検察よりも国民に近い位置にいます。日本国憲法にも、公務員(政治家)は国民の代表である、と書かれています。それなのに、国民が検察に介入する唯一の手段を潰そうとするのは解せません。

最後に、NHKについて言うと、そもそも私はNHK国営論者です。「公共放送」という官なのか民なのかよくわからない中途半端な、ぬえのような存在に、年収3000万円の夫婦+子供2人の4人世帯からも、年収300万円の独身世帯からも、同額の受信料を徴収するという、消費税も真っ青の超逆進的な事実上の課税を科してまで、NHKを守る理由が私にはわかりません。日本には民放局が地上波だけで5局もあり、たとえ国営放送が大本営発表的な報道をしたとしても、民放がそれをチェックすることは十分に可能ですし、そもそもの話、テレビなんてなくてもインターネットメディアやSNSでチェックできます。だいいち、それをいうなら半官半民のようなNHKに政権のチェック機能なんか期待できると考える方がそもそもおかしいし、むしろネット民の多くは偏向の強いマスコミフィルターを介さない生の政府の声を直接聞きたいと思っているはずです。ていうか、それでこそ民放の報道が正しいかどうかを確認できるというものでしょう。国民の付託を受けた政治家がNHKの人事に介入することも何ら問題があるとは思いませんね。それにもはや、テレビは今後衰退する一方ですので、政治家がNHK人事に介入するメリットも今後失われていくと思います。

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