笛美さんが本当に変えたいのは政治ではなく自分自身。「もっと評価されたい」「でも、リスク取りたくない」。 #検察庁法改正案に抗議します

前回、笛美さんを批判する記事を書きました。

今回はこれをもう少し要点を絞って、笛美さんが本当に主張したいことは何なのかを勝手に考察していこうと思います。

前回の記事の冒頭で、笛美さんに対するプロファイリングを行いました。若さを武器に第一線でバリバリ活躍した20代。しかし若さという武器を失って仕事もうまくいかなくなり、自分の存在意義に不安を感じ始めた30代。全能感を抱きやすい高学歴にありがちな罠だと思います。そして、その不安の原因を「男性優位社会が悪い」と定義づけることで安心海を得ようとしてフェミニズムに傾倒。そこで出会ったフェミ仲間たちと語り合っていくうちに、左翼的な思想を植え付けられ、気が付いたら政治厨に。

どうでしょう?当たらずとも遠からず、なのではないかと思っていますが。

10万円の給付が実現したことを、自分たちの手柄ではなく公明党の手柄にされてしまったのが悔しい、と言っているように、彼女はとても「自分が評価されたい」という欲求の強い人だと思います。これも、高学歴にありがちな罠。

自分は勉強ができるから有能なはず、高学歴だから有能なはず、でも現実は違う。その、理想と現実のギャップ「男性優位社会」や「政治」のせいにする。何か1つ悪を設定して、原因のすべてをその悪のせいってことにすることで、精神的には楽になる。高学歴で、高い給料をもらっていながら、左翼思想にハマる人の多くはだいたいこのパターンだと思います。

要するに「私はもっとみんなから高く評価されたい」っていう、それだけの話です。

でも、だったら政治家になれば良いだけの話なのですが、多くの人はそうはならない。

だって、政治家って色んな人にペコペコ頭下げなきゃならないし、色んな人から罵声を浴びせられ続ける。政治家になっても、ただ政治家になるだけでは、名誉欲はなかなか満たされることはありません。

しかも、政治家は落選リスクがありますからね。せっかく国会議員になっても、参議院議員なら6年に1度、衆議院議員だと平均して約3年に1度、選挙という名の失業の危機がやってきます。

一般人が政治家になろうとしないのは、供託金が高いということも少しは関係ありますが、実はそれは大きくなくて、本当に大きな障壁となっているのは、人生を棒に振るレベルのリスクが待っているから、なのです。

だから、二世議員、タレント議員、労組お抱え議員ばかりになるのです。これらの議員は、たとえ落選しても受け入れてもらえる先がありますからね。

ですが、笛美さんは今回の件で知名度を上げたので、もしかしたら将来、立憲民主党あたりから出馬してくるかもしれませんね。どうせ今の仕事も上手くいってないのでしょうし(上手くいってたらフェミニズムや政治に傾倒するはずがない)、35歳になっても独身なら、万一落選してもダメージは小さい。知名度は十分獲得したので、ライター業や講演業で食べていくこともできます。

笛美さんにとって今回のトレンド入りは、この上ない成功体験となったことでしょう。ここまで書いて思ったけど、笛美さんって石川優実さんと似てるよね。石川さんは、学業は全くダメだったけど、ルックスの優等生だったのです。だから自慢のルックスを生かして芸能界に入った。ところが、その芸能界では自慢のルックスは全く通用せず挫折。おまけに芸能界でセクハラ、パワハラも経験して、性格まで歪んでしまった。彼女は救いをフェミニズムに求めた。その結果、#kuTooで奇跡の大ブレイク。

優等生が仕事で挫折。救いを求めてカルトにハマった結果、カルトの世界で大ブレイク。ほらね、そっくりでしょう。

もう1つ、彼女たちに共通することがあります。

どんな声でも出していい、と言うくせに、出して良い声と出してはいけない声を勝手に選別していることです。

彼女たちにとって、政府を擁護する声や、男性を擁護する声、そして何より、自分たちを批判する声は、悪です。

さらに言うと、政府を擁護する声や、男性を擁護する声、彼女たちを非難する声を挙げた人たちのことを、彼女たちは「声を挙げた人たち」とは認めません。彼女たちにとってはそれは声ではなくノイズなのです。

そして、彼女たちにとってノイズを発する人たちは「フェミニズムや政治のことを何も考えてない無知蒙昧」なのです。

彼女たちの思想の根底にあるのは選民思想です。

学歴が高かったり、ルックスに秀でていたりして、自分たちは当然認められるべきだ」という意識が強いので、現実とのギャップを受け入れることができないのです。

だから、自分たちを非難する人たちのことが無知蒙昧に思えてしまうのです。

いやね、別に無知蒙昧だと思っていただいても構いませんよ、こちらだってあなたたちのことを無知蒙昧だと思ってますから。それはお互い様。

だけど、彼女たちに致命的に欠けているのが「無知の知」です。「もしかしたら自分が間違っているかも」ということを認めようとしない。認めたくない。認めることが怖い。自分の間違いを認めたら自分が無知だということになってしまう。これが怖い。

だから、どんなに非論理的な屁理屈であっても、どんな矛盾した言葉であっても、強弁するようになる。

間違いを認めることなんて怖くないし、別に間違ってても命までは取られませんよ。どんな偉大な学者だって小学生レベルの間違いを犯すこともある。それは別に恥ずかしいことではありません。

どんなに自分は正しいと思っていても、どんなに自分は賢いと思っていても、でもほんの少しだけでも「もしかしたら自分は間違っているかもしれない」という意識があれば、反対意見にも一応耳だけは傾けておこうと思うものです。そして、反対意見に耳を傾けた結果、やっぱり自分が正しくて反対意見が間違ってると思えば、その反対意見を批判すればいい。

でも、彼女たちはその手間を惜しむ。自分が間違っていることを許すことができないから。本当は、反対意見のほうが正しいと認めるのが怖いんだ。自分の意見に自信がないんだ。自信がないから必要以上に「自分は正しい」と思いこもうとする。「自分は正しい」が崩れたら、選民意識が、エリート意識が、優等生意識が、プライドが、ズタズタになってしまうから。それが怖いんだ。

彼女たちが「みんな声を挙げろ」というのも、自信がない証拠。本当に自分に自信があるなら、べつにみんなに声を挙げてもらう必要など感じない。自分が声を挙げれば良いだけだから。そして、自分の挙げた声が間違っていたら、自分ひとりが責任を取れば良いだけだから。



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