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自分がないと始まらない、他人がないと続かない

この前ふと思ったことである。

世の中には自分でプロジェクトを始めたり、起業しようという人たちがいる。
そんなにすごいことじゃなくてもいい。ブログを始めたり、小さく創作を始めたり、趣味を始めたり、でも良い。
彼らは、自分の創り上げたい世界観や、プロダクトや、変化をはっきり持っている。

ただ、自分発で何かを始める力を存分に持っている一方で、あまり継続せずすぐやめてしまう人もいる。
色々なものに手を付けたけれど、結局続かずにやめてしまう。

何かを続けるために大事なことの一つに、他人からのリアクションがあると思っている。よく言う、ポジティブフィードバック。
例えばnoteを書くにしても、誰からも反応がないと不安になる。スキを押してくれる人がいるから、「誰かが読んでくれてるらしい…次も書いてみようかな」と思うことができる。Instagramにしても、TwitterにしてもFacebookにしても、いいねやリツイートの数が表示されるから、人からのリアクションを増やすことを目標に続けることができる。

誰からも感謝されない、興味を持ってもらえないものを続けるのはとても胆力がいる。
それでも続けられる人は、よっぽど信念がある人か、自分の世界に(良い意味で)没入できる猛者だ。

だから思うに、続けられない人は、誰かの思いを汲んだり、気持ちを予想して応えることがまだできない人が多いのではないだろうか。(別に続けられないことを批判する文章じゃないので、誤解なきよう!)
やりたい気持ちがあるなら周りが何と言おうが続けられるはず、とは個人的には思わない。マイナージャンルを好きになり、仲間が見つからなくて落ち込んでいる人を自分はたくさん知っている。

さらに一方で、何かを始めたいと思っても、何も始められない人もいる。
何かやらなきゃいけない気がする、でもやりたいことがあるわけじゃない。焦りだけが募っていく。
彼らが何かを始められないのは、自分が形にしたい具体的な"何か"が、まだ見つからないから。
そもそも何かをやらなければ、という焦りも、実は自分ではなく他人からの煽りが原因であることが多そうだ。

そういう人は別に無理に何かを始めなくたっていいよね…というのは別の話なので置いておくが、
ここから分かるのは、今、自分自身が、自分の思いを育てるタイミングに立っているのか、
他人の思いに応えるタイミングに立っているのか、見極めることが大事だということ。

自分の気持ちに正直になること、好きなことを突き詰めることは大事だが、他人の存在を完全に無視できるほど僕らは強くないと思う。
自分と他人なら、自分の方が大事だ、いや他人の方が大事だ、という極論は持ち込めない。
生きることってもっと複雑だ。

だからこそ、その場その場で変化していく自分と他人を見つめながら、
今、どんなタイミングかをシンプルに言葉にすることが大事だと思った。



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