短編もしも小説 「あの鳥人間の正体」 まえがき
まえがき
古事記の天孫降臨。
ギリシャ神話のオリンポス十二神。
インドの戦争叙事詩、マハーバーラタ。
南米のアステカ、マヤ。
神話・伝承は、語り手の立場・視点によって得てして脚色要素が入るものである。
子々孫々に、伝えたいように、伝えるものだ。つまり自ら軽蔑されるような部分・失敗談は伝えないはず。
この物語は筆者によるフィクションである。しかし、あなたの常識を形作っている教科書も、歴史も、人間がある意図をもって作り出したものであり、誠の事実であるかどうかを確かめる術はない。いやもしかしたらあるのかもしれないが。
だがどの文献を紐解いても、所詮は人間が意図を持って作り出したものであることに違いはない。
例えば日本の歴史の教科書の始まりかた。
約1万2千年前〜1,800年前と大きな開きがある、要するに明確に把握できていない縄文弥生時代。
その後の100年間ほど、約1,700年前頃に、突然古墳が作られ、王朝が形成されていった大和時代についても、未だ多くの仮説によって構成されている、なんともロマン溢れるあやふやな状態で維持されている。
それから約300〜400年ほど経った飛鳥〜奈良時代の貴族、太安万侶が、当時に使われていたとされる古語で書かれた文字を読み解いて編纂したと言い伝えられている古事記の書物そのものを目の前にして、解読した者が、現代日本にどれだけいるのだろうか。
今から400年前といえば、徳川家康が江戸幕府を開いてから17年も経った辺り。その時代のことを、現代人がネットも図書館もなしに、古事記ならぬ「江戸記」として、当時に残された文献や使われていた言葉や文字を解読して、現代語で書き記すようなものだ。
世界最古の文明(ということになっている)シュメール文明は紀元前9,000年前、つまり今から約11,000年。
四大文明の発祥もその後紀元前約4,200年前あたりからのこと。
キリスト以降約2,000年。
ムハンマド以降約1,400年。
その各々周辺の人々による解釈や分裂による思想的争い、時には物理的な争いが、現代にまで続いている。
この1,000〜2,000年の間だけでも、その解釈は宗派としての分裂や、別の宗教になってまで1つの統一された解釈にも歴史にもなっていないというのに、現代人がどうしてそれよりも遥か昔の10,000年も前の当時のことを確実に語ることができるだろうか。
おそらくだが多くの場合、誰かが意図を持って意訳・翻訳・語った言葉を、そのままあなたがその頭の中にインストールしたデータが、史実と認識され、常識として醸し出されるだけのこと。
ところで事実とは何人が「これこそが事実だ」と認識すれば、事実に変換されるものなのかは、未だ明らかになっていない。
たった数分ネットを漁っただけで振りかざす"あなたの知識”に含有される価値について、たまには反芻してみるのも一興かもしれない。
次回本編、
短編もしも小説 「あの鳥人間の正体」 - 1 串に刺される恐竜の子孫 に続く。
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