便利さ VS 気持ちよさ その4 - 完&まとめ・サステナブルシフト派の二大派閥 ②理屈タイプ -
シリーズ通して伝えたいこと
「過剰に便利さを追求するエコノミー(経済)も、
余剰を許さず不便さを強制するエコロジー(環境配慮)も、
どっちかだけだと疲れるから、うまいこと融合させて中庸を見つけましょうよ。
こんな人たちに読んでもらいたい、とイメージして書いてます。
どんな人は読まなくていいか、も考えてみた。
理屈タイプは構図でいうと、ここ。
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便利さ派 VS 気持ちよさ派
(大量生産) (サステナブル)
∟ 究極タイプ
VS
∟ 理屈タイプ(←ここ)
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前回からの続きで、そして究極 VS 理屈のまとめです。
数の論理が成立しなければ、持続可能な社会なんて実現するわけがない
、と今のところ思っています。
そして人間の欲求は止められないし、多様なんだから、多様な折衷案を見つければいいじゃん、と思っています。
例えば、プラスチックごみの海洋問題を気にしてペットボトルは絶対買わない、そしてその意識と行為が正しいと信じて疑わない究極タイプ的啓蒙の手法は、"1%以下"の限界を超えることはおそらくデキナイ。
便利を追求し続けてきた歴史の壁は、そう簡単に崩れないと思っているからです。
一方、ペットボトルに限らず、その便利さへの追求の証としてプラスチックは素晴らしい技術だし、その人類の英知を「今すぐゼロだ!」なんて眉間にシワ寄せた顔して否定するようなことは言わずに。
たくさん石油を使うからといって、エアコンも飛行機も無理して拒否するんじゃなくて。
いや、究極タイプな方々が速攻「どんなに行き先が遠くても飛行機は使わない、CO2すごい出るから」とアルティメットな切り替えができることは、理論上は合理的で正しいとは思うけど。
その他大多数の「ちょっといきなりそれは...」という人を置いてけぼりにすることは、俯瞰した目線で見ると、CO2の問題を全体で解決することにおいては遠回りになっちゃう側面もあるはずなんです。少なくとも乗らなかったそのフライトは、その究極さんが乗らなくても、結局飛ぶから。これだけ世間で気候変動だ温室効果ガスだと騒いでいれば航空会社だって耳に入ってない訳じゃないんだから。
人類の叡智によって手に入れた快適さは享受しながら、もしそれが何かの犠牲の上に成り立ってしまっているのだと気づいたのなら、気づいた人同士の間で究極タイプ VS 理屈タイプが争うのではなく、究極、理屈、妥協、そして感情、それぞれの良さを結集した技術を生み出して、その犠牲を解決したら平和的でよくない?
例えば、こんな解決策を考えている人たちもいる訳ですから。
究極タイプからすると茹で蛙に見える発想なのは百も承知なのですけど、
その他99%以上のそうじゃないタイプの人からしたら、敷居が低くて、ラクそうな方が、何かを始めてくれると思うことはたくさんあるはずなのです。
「プロサッカー選手と同じメニューをこなす気がないなら、生半可にサッカーに手を出しちゃダメ」
そんなこと言ってたら、今のこのサッカー人口もないわけで。誰でもやろうと思ったらできる楽しいスポーツな面もあるから、プロのゲームが見たくて、視聴率も稼げてその結果、大スポンサーも大金を出す価値を見いだせて、その資本の下プロがどんどん育ってきて...と成り立ってる。
子供も大人も誰でもできて、尚且つ不便じゃない方がいい。だからこそ便利さを追求し続けてきたのだから、人類は。
次回、便利さ VS 気持ちよさ その5
- 人間は不完全な存在だから、妥協する -
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