10年間、震災を避け続けた「3つの理由」とこれから
東日本大震災から10年が経とうとしているとき、改めてぼくはこの10年間、震災の情報と関わることを意識的に避けてきていたことに気づいた。きっと、これには3つの理由があると思う。
海外で経験した震災
一つ目は、震災が起こったとき、偶然にも海外にいたということ。やっとの思いで取得した長期休暇で、海外のホテルについたまさにその日の夕方に震災が起こった。
もちろん、日本中の人が毎日流れる震災のニュースに疲弊していったわけだが、ぼくは、ニュースをみる時間がいくらでもあり、仕事で気が紛れるわけでもなく、しかもそれを誰とも共有できない状況で、それはかなりのストレスであった。
そして、海外にいては、どうにかしたいけれど、どうしようもない。
旅行中、自分の心の安定のために、震災の情報はできるだけ避けるようになってしまった。
被災地応援を断った後ろめたさ
そして二つ目は、仕事の関係で、震災直後に仙台に応援に行ってほしいと言われたのを断ったことについて、後ろめたさをずっと感じていたから。
なんとか飛行機が飛んで、日本に帰ることができて仕事に出た初日に「仙台に応援に行ってくれないか」というオファーを上司から受けた。
確か、1、2日前に原発で2回目の爆発があったばかりで、ぼくは即座に「本気ですか?家族と相談させてください」と答えた。上司はそれを断り文句と捉えて「そりゃそうやな」と誘うのをやめ、結局、違う部署の人が行くことになった。
震災の時に日本にいなくて何もできなかったことを後悔し「何かしたい」と思いながら、実際に応援に行けるチャンスが来たら、原発が怖くて断った。
「あの時行くべきではなかったのか」と、後で何度も思い返してしまった。
東北から遠い関西
そして三つ目は、そもそも、関西に住んでいるため、どうしても東北地方との接点が薄いことだと思う。もちろん、同じ日本人として悲しいし、応援したいと思っている。
でも正直、関西にいると、東北に遊びに行くこともほとんどないし、東北出身の人が周りにいるということもほとんどない。
原発がメルトダウンすることに対する恐怖も、もちろんあったけれど、おそらく関東のそれとは全くレベルが違っていたと思う。
避け続けた10年
震災当初、意図的に震災のニュースを見ず、そして、応援に行く機会があったのに、逃げた後ろめたさの中で、ぼくは、震災の情報から意識的に距離をとるようになっていた。
必要最低限の情報(原発の状況など)は、しっかりと見ていたけど、津波の映像や被災地のその後の状況とかなどは、なんとなくみることができなかった。
海外にいたために、みんなから少し遅れたタイミングで、みんなが受けた衝撃を1人で受けて、しかもまた誰とも共感できないまま心が傷つくのが嫌だったのだと思う。
10年目を前に
でも、震災から10年を目前にして、最近やっと震災についての情報に触れ出した自分がいた。少し時間が経ったことで、その衝撃に対する耐性がついたのだと思う。
例えば、年が明けてから、偶然ネットで見つけた福島第一原発で働く方が書いた漫画を読んだ。
そして先日、ミスターサンデーの震災特集を見た。
おそらく、震災10年目にして初めて、津波の画像をしっかりと見た。やっと直視できた、と言った方がいいのかもしれない。
震災の被害を直接受けた方にとっては「気楽なやつだな」と思われるかもしれないし、その通りだと思う。
誰もが被災していた
だけど、いわゆる「被災地」と呼ばれない場所にいた、たくさんの人々も、こうやって一人一人、震災との付き合い方について、この10年間で折り合いをつけてきたのだと思う。
もちろん実際に被災された方の苦労とはまったく比較にはならない。でもある意味で、全ての日本人が「被災者」と言えるくらい心が傷ついていたのに「被災者」とは言えないことについて、葛藤した10年であったように思うのだ。
そして、結局、ぼくは、この10年、ほとんどなんの役に立つこともできなかった。でも、今からでも遅すぎることはないと思う。
遅くなってしまったけど、あの日、何が起こったのかをしっかりと学んで、そして、被災した人や地域のためにできることをしていきたい。そう思っている。
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