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社会人15年目で「イチケイのカラス」に思うこと
フジテレビの月9ドラマ「イチケイのカラス」が面白い。
かっこいい裁判官「みちお」
異色の裁判官である「みちお(竹野内豊)」が、普通の裁判官であれば、まずすることがない調査権を発動して、現場を走り回って事件の真相を解明し、冤罪を防いだり、被告人の心からの更生を促したりするストーリーである。
周りの反対や、上層部からの圧力をものとせず、「悩んで悩んで」判決を出すスタイルで、ととことん納得がいくまで、事件を調査する姿はかっこいいし、その結果事件の謎が無事に紐解かれているみていてスカッとする。
「みちお」に思うこと
ただ、社会人も15年目になるぼくは、少しこの「みちお」に思うことがある。
なぜなら、このみちおの行動は、周りへのしわ寄せによって成り立っているからである。同じ部署にいる人たちの事務作業はもちろんだがそれ以上に、他の裁判が遅れるという問題を生じさせているのだ。
そもそも、「みちお」のいる部署は(主に「みちお」のせいで)「赤字」と言われる新しい事件数が、完了した事件数を上回る状態で、常に裁判に待ちが生じている。
つまり、ドラマでは描かれていないが、実際には「みちお」が、1件の裁判に調査権を発動して、現場調査をしている間、他の裁判はどんどんと遅れていっているのだ。
ドラマ以外の裁判は
ドラマで描かれている裁判の被告人は「みちお」のおかげで、心から更生したり、冤罪を免れたりしている。でも、そのほかの裁判を待つ被告たちは、本来1ヶ月で終わる裁判が半年になったりといったことが起こってしまうのだ。
これは果たして正義なのだろうか。
かといって、全体の裁判を早く終わらせるために、冤罪には目をつむれと言うのはおかしいのは理解しているが。
今のままは自己満足
学生の頃や、社会人1、2年目の頃であれば「「みちお」がんばれ!」と素直に感じられていたと思う。
でも社会人も10年を超えると、もう少し広い視点で物が見えるようになる。
本当に「みちお」が求める裁判を実現したいのであれば、単に自分が行う裁判を丁寧に確実にするだけでは足りない。それでは、自分と接した人しか助けられないのだ。厳しいかもしれないが、これはある意味「自己満足」とすら言えるのではないだろうか。
本当の解決策
ではどうすればいいのか。
本当に問題を解決するのであれば、自分の裁判にもこだわりながらも、免罪を防止するために、取調べ室の原則録画などの検察制度の改革に取り組んだり、被疑者の更生を促すために、刑務所での研修制度の充実などの施策に取り組んでいくべきだろう。
もちろん「みちお」は裁判官である。検察や刑務所を統括する部署ではない。でも本当の意味で「みちお」の夢を叶えるためには、自分のいる組織に拘らず、裁判官の立場を利用して、広く世間に情報を発信して世の中に訴えていくことはできるはずだ。
例えば、このnoteのようなブログを利用して発信してもいい。
やり方はいくらでもある。だから、おそらくもう40歳を過ぎた社会人でありながら、自分の担当する事件のみを、深く、丁寧に対応している彼の姿は、まだまだ子供のように感じてしまう。
もちろんあくまでもドラマだからそれでいいのだけど、まだ3話目なので、今後ぜひ、司法制度全体の改革に取り組む姿も見てみたい。
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