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「京都から上京」という言葉は間違い

先ほどニュースで「京都から上京」というフレーズが出ていて、強い違和感を感じた。だって、「上京」の「京」ってそもそも「京都」のことのはずで、これでは「京都から京都に行った」ではないか。

一応、調べてみると「上京」とは「首府に行くこと。都に上ること」だそうだ。じゃあやっぱり「東京に行くこと」ではないはずだ

京都以外の人は「何を言っている?」となるのかもしれない。でもぼくは本気だ。「京都の人は今でも京都が首都だと思っている」という話を耳にした人はほとんどが「そんなバカな」と思っているかもしれない。でも京都人は結構本気でそう思っている。その理由を4つに分けて説明したい。

まず第一に、明治天皇は京都を出られる際に、遷都すると言ってわけではない。「ちょっと出かけてくる」といって東京に向かわれたわけで、お出かけしたままであり、本来のお住まいは今でも京都であるのだ。(写真は天皇のお住まいである京都御所)

第二に、アメリカのワシントンDCであったり、オーストラリアのメルボルンであったりするように、首都がその国1番の大都市だある必要はないから、京都が首都であってもおかしくない。

第三に、そもそも日本には「首都を定める法律」は存在しておらず、法的にはどこにも東京が首都であると定義されていないのだから、そう思う都市が「うちが首都だ」と言うことは自由だ。

第四に、そもそも「京都」で「みやこ」と読めるし、「京」も「都」もそれぞれ「みやこ」と読むことができる(「みやこ」で変換したら出てきます。お試しください)。つまり、京都はそもそも「みやこ」を意味していて、「京」も「都」も全て「みやこ」を意味しているのである。

こんな名前のついた街が首都で無くて一体どこが首都なのだろうか。

東京都は、その名の通り、東の京都である。あくまでもサブ的な存在なのだ。

と言うことで、京都人はみんな京都を首都だと思っている。もちろん東京に首都高速道路が通っていて、国会議事堂があって、最高裁判所があることは知っている。でも、京都人は、京都が首都だと思わないといけないのだ。

その気持ちが、実は、天皇がお出かけしてから150年間にわたって「首都を定める法律」が制定されていない理由の一つなのである。

言ってしまえば意地である。しかし、この時代になった今となっては、もともと首都である京都から地方創生(本当は首都だから「首都創生」だけど分かりにくいので「地方創生」)ができなければ、いったいどこが頑張れるのか。という思いもある

ちなみに、そのような気持ちから、何かあったら首都の役割を担うという思いも強くあって、東日本大震災の時には、天皇陛下がお忍びで京都に来ていると町中で噂になっていたぐらいだ。実際に御所もあり、皇宮警察もいるわけなので、そんな噂にも信憑性が出てしまう(ぼくの感覚では、京都の街中のおばちゃんの5割くらいはは本当に来ていた信じていると思う)。

平安遷都から1200年続く歴史の中で、明治以降の150年なんて、京都にとっては大した長さではない。なので、京都人は、お出かけされた「天皇さん」が京都に帰られる日をずっと待っている

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