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【ただのつぶやき】本の話:愛するということ(エーリッヒ・フロム)

こんにちは。

先日、いくつか本を買ってきましたよ~ということで、こんな記事を書いたところでした。

 この記事の中でご紹介しておりました

「愛するということ(エーリッヒ・フロム)

という本について読み終えました。いい本でしたので、ご紹介がてら、記事にしたいと思います。

 なお、古典作品(※この本は、古典というにはまだまだ新しい方ですが・・・)を読む際は、基本的に作者のバックグラウンドを知ったうえで読む必要があると、個人的には感じます。そうしておかないと、消化不良になる内容が一気に増えるように感じます。

 ですので、今回は

    1.まず作者の紹介
    2.本書の概要
    3.読後感

という流れで、ご紹介していこうと思います。

※なお、本書の概要については、いわゆる「要旨」や「まとめ」にしようかとも思ったのですが・・・それだと、これからこの本を手に取られるであろう方の、折角の読書の楽しみがなくなる気がいたします。

ですので、あえてぼかして『こんな雰囲気の、こんな内容の本ですよ~』という事だけ書いております。気になった方は、ぜひ手に取ってくださいね!

1.作者紹介:エーリッヒ・フロム

 作者はユダヤ系のドイツ人で、1900年に生まれます。社会学や心理学、哲学を学んでいましたが、ちょうどその頃、ファシズムやナチズムの台頭により、激しい時代の流れに翻弄されます。本人もユダヤ系という事もあり、ナチスが政権をとった翌年には、アメリカへと渡っているようです。

 この本の中にも、所々にファシズムや権威主義的体制に対する強烈な怒りを感じることができますが・・・それは、作者がこのようなバックグラウンドを持つからなのでしょう。

 フロムは、精神分析の手法を、社会学の分野に応用されたことで有名な方です。読んでいると分かるのですが、特にフロイトに関しては、否定する場面が結構多いように思えます。

 ただ、文体を読む限り、それはフロイトをけなしているものではないと感じます。むしろ、リスペクトしているからこそのものであると、私はそう受け取りました。

 激動の人生ののち、終の棲家はスイスに構え、1980年に亡くなられたようです。

2.本書の概要

1/4: フロムの言う「愛」とは?

 そもそも、「愛」という言葉に対して、私達はどのようなものを想像するでしょうか。

 知力と努力の上に獲得すりるようなものなのか。はたまた、運が良ければ落ちるように、貰うできるようなものなのか。

 フロムが言うには、多くの現代人が考える「愛」とは、後者であると言います。それはつまり『「愛」に関する問題とは、「愛される」かの問題』であると、受動的な捉え方をしまっているのだと言います。言い換えれば、「愛」は自分の外部から、運よく自然発生的に与えられるようなものだと、多くの現代人はそう思ってしまっていると、フロムは言います。

 しかしながら、フロムが主張する「愛」とは、前者のものであります。つまり『「愛」に関する問題とは、「愛する」かの問題』であると、主体的な捉え方をします。「愛」とは、自分が主体的に努力して習得し、外部に対して与えるものであると言うのです。

 この本の冒頭、フロムは「愛は技術である」と宣言し、話が始まっていきます。

2/4: フロムの言う「愛の対象」とは?

 フロムの考える「愛」とは、特定の対象に対する態度ではなく、全対象(世界全体)に対して対する態度のことであるようです。

 例えば「私はAを愛している。だからA以外には無関心だ。」という態度があったとします。それに対してフロムは、「それは愛ではなく、共棲的愛着あるいは自己中心主義の延長でしかないのだ」と、バッサリと切り捨てます。

 現代人の多くは、「Aを愛している」という事の強固さの証明に、「A以外に興味がない」ということを無意識に使ってしまっています。しかしフロムは、そもそもそれが間違いなのだと、そう主張します。

 フロムの主張する「愛」の対象は、全対象(世界全体)に及びますが、そういっても、その入り口にはいくつかの種類があるようです。例えばそれは、恋人かもしれないし、親かもしれない、はたまた自分自身へのものかもしれない・・・

 そのような入り口の類型について、フロムは最初に「親子の愛」について少し述べた後、「友愛」「母性愛」「恋愛」「自己愛」「神への愛」といったことについて述べ、話を展開してゆきます。

 そしてだんだんと、「愛」であったり、「愛する」ということには、人間的な成熟が必要であったり、努力や鍛錬が無ければ習得できないものであると、話が展開されてゆきます。

3/4: 現代は「偽りの愛」に溢れている?

 続いてフロムはこのように主張してゆきます。

 それは、現代の西洋文明における資本主義社会の市場原理は、我々の思考のベースに、「人も物も能力も、すべてのものを商品(売買や、交換の対象)として考える」クセを植え付けてしまった、という事です。

 (この概要では触れていませんが、前章からの主張の延長として、)当然そのような環境の中では、フロムが言うような「愛」が生まれる可能性は、ほとんどありません。

 その結果、社会には「愛」の代替品として、商品化された「偽りの愛」が登場してしまいます。

 「愛」がなくなり、孤立化を深めていく現代の人間は、「偽りの愛」に頼ろうとします。しかしながら、「偽りの愛」はモルヒネのようなものであり、一過性の満足しか得ることができません。

 このように、現代の人間は、一種の慢性的な欲求不満に陥ってしまっているのですが・・・多くの人がそのことに気づいていないのだと、フロムは警鐘を鳴らしています。

 「偽りの愛」と、真実の「愛」とはどう違うのか。我々は何に気が付かないといけないのか。社会学や精神学、哲学といった各方面から照らし、そのことを浮き彫りにしてゆき、本書の核心へと進みます。

4/4: 「愛」のための修練

 フロムは本書の冒頭から一貫して、「愛」の必要性であったり、また同時に「愛」は技術的に習得すべきものであると言ってきました。では、現代に生きる人は、どうやってその「愛」の技術を習得したらよいのでしょうか。

 本書の最終章では、これまでのフロムの主張や意図を踏まえたうえで、「愛」を習得するための、修練の方法が述べられてゆき、終わりを迎えます。

3.読後感

 人間、誰しも寂しさや孤独といった感情を感じた際、「愛」について思いを巡らせることがあるかと思います。ただ、我々は「愛」という言葉は非常に安易に用いますが、はたしてその意味について、どれだけ考えたことがあるでしょうか?本書は、その「愛」という言葉について考えるヒントをくれる、そういった本でありました。

 昔、歌のフレーズに「愛されるよりも、愛したいマジで」といったフレーズがあったように思いますが・・・この路線で、大真面目に突き進んだのが本書です。

 もちろん、フロムの個別個別の主張に関しては、同意できる点・同意できない点がありました。ただ、「愛」というものを、非常に様々な方面の切り口から捉えようと試みている点が非常に面白かったです。

 フロム以前の「愛」は、フロイト的な、性愛の性質を色濃くもったものの延長で捉えられることが多かったようです。ここに、フロムは新たな切り口を導入したように感じました。読んだ後に『とても考えが深まって、よかったなぁ』と思える、良い本でした!

 文体も非常に読みやすく、さらさらと読めます。また、トータルの文章量もさほど多くない(少なくもないですが)部類かと思います。「小難しい、ねちっこい、長ったらしい本はイヤだ!」という方でも、読みやすいのではないかと思います。

 ただそれゆえに・・・作者の考えをよくよく理解するためには、一度全体を読み終え、作者の全体的な主張をまず捉えたうえで、2週目を読む必要があるようにも思えます。平易な言葉で書いてある分、作者の主張がやや伝わりにくいような部分もあるように感じました。

(※この点に関しては、原典がそうなのか、それとも翻訳者の訳し方の問題なのかが、分かりません。なお、全体を通しての訳は、とても素晴らしいものだと感じました。)

 2週目以降で「あぁ、序盤のその主張の意図は、こういうことだったのね」と、合点がいくような・・・そういう部分が多くあったような気がします。

 もしこの本を実際に手に取られる方がいらっしゃって、「1週目、なかなかよかったじゃん!」と思っていただけた方は・・・ぜひ2週目を読んでみることをお勧めします!(^^) 

 良い本でございました♪みなさまも、ぜひ♪(*^^*)

※※※ ここからはお知らせ ※※※

いつもは、子どもにまつわる防災&応急手当に関する記事を、月1(+臨時で不定期)で書いています!どれも、忙しいパパ・ママ向けの、サラッとライトな内容なので、ぜひ一緒に見ていってもらえると嬉しいです(^^)下に、過去の記事をマガジン形式で纏めましたので、ぜひご覧ください!

また、私の日々思っていることや、好きなことなど、私がどんなやつなのか、どんな考えをもっているやつなのかが分かりやすい記事については、下の【ただのつぶやき】シリーズが、わかりやすいかもしれません。少しでも「パパ防災士:牛尾崇彦」個人に興味を持たれた方は、覗いていただけると嬉しいです!

※※※ お知らせ終わり ※※※


 



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