時代劇『血槍富士』を読み解く
時代劇チャンネルで『血槍富士』を見る。一九五五年、中国での抑留生活から復帰した内田吐夢の作品。ストーリーをごくごく簡単に言えば江戸時代の侍にはあり得ないデモクラティックな思想の持ち主の若い殿様、酒匂小十郎(片岡栄二郎というあまり名前の聞いたことのない役者)が、酒乱癖があって侍と諍いを起こして斬り殺されてしまう。その殿様の槍持ちをつとめていた足軽の権八(片岡千恵蔵)が仇打ちを果たす……という話。タイトル写真は、その権八と、槍持ちになりたいと言ってついてくる孤児の少年と、権八を親しくなる親娘の旅芸人のおすみ。
民主的で、自分が侍であることを嫌がっていたという殿様の性格を除けば、型通りの仇討ちものと思えるが、実際は道中で知り合った町人たちの話をからめたオムニバス風の映画。——例えば身売りをしなければならなくなった若い娘に殿様が同情して、金を作ってやろうと思って槍を質入れしようとするが値段が安すぎて諦めたりする。権八がその槍を持って宿の潜り戸を入ろうとすると、その槍の穂先が逃げようとしていた大泥棒の眼前に突き出す形になって、泥棒が腰を抜かしたところを捕まえる。
すると奉行所の侍が殿様の功績で褒めてつかわすと言う。殿様は捕まえたのは足軽の権八だから、権八を褒めてくれと言うと、足軽の手柄は殿様の手柄と考えるべきと言われ、しぶしぶ受け入れるが、「ちなみに褒賞はいかほどか?」と聞くとほんのはした金で、見守っていた町人に向かってこんなもんだよと自重する。
その殿様の玉に傷なの酒癖が悪いこと。このことは権八も、もう一人の足軽源太も承知しているのだが、酒屋を見ると我慢ができない。大名行列に庶民が平伏する姿を見て、なんとくだらないことだがとむしゃくしゃして酒のいける源太を無理に誘って酒屋に入ったところ、柄の悪い五、六人の侍が嫌がる酒屋の娘を連れんできたのではしたないことをするなと咎める。
主人の癖を知っている源太はしきりに止めるところを侍が後ろから切り捨て、侍同士の斬り合いになるが多勢に無勢、若殿様は斬り殺されてしまう。その様子を見ていた町人が槍持ちの権八に知らせる。その時、権八は道中で親しくなった三味線引きの母親と踊り手をしている幼い娘と三人げ話し合っていたが、殿様が危ないと聞いて直ちに宿に戻って槍を持って駆けつけると殿様も源太も殺された後。
激怒した権八は槍を振り回して侍たちに斬りかかる。最近、どこかのテレビの歴史番組で、実際の戦場では刀より槍が全然強いという映像を見たことがあるが、それは突くより、上から下に振り下ろせば、分厚い板が二、三枚、簡単に割れてしまう映像を見たが、権八も上下左右に槍を振り回すと侍は何もできない。
最後の侍は突き殺していたが、今のように特殊撮影の技術が発展して入れば突き刺す瞬間を見せることができるかもしれないが、昭和二十五年ではそれもできず、ずらして突いていたのはちょっと残念。 それはさて措くとして侍を殺された大名家は足軽風情に当家の侍がやられるなんてことは認めることはできぬという理由で権八は無罪放免、殿様と源太の遺骨を入れた白い箱と槍を手に街をさっていく。そこに道中、槍持ちになりたいと言って、権八の後をつけていた孤児の少年が「おいらも強い槍持ちになりたいから、連れて行ってくれ」と頼むが、「そうか、そうか」とそれまで満更でもなかった権八は顔色を変え、「侍なんかくだらんものになるんじゃねえ]と厳しい声で言い放ち、あきらめきれぬ少年が「連れてってよ〜」と叫ぶ声を背に、地平線の彼方に消えて行くという『シェーン』を思わせるラストシーンは、日本映画、屈指のラストシーンと言っていいと思う。あと、無性に感動したのは町のお祭りで母親の端唄に合わせて幼い娘が踊るシーン。(うまくここに入ってくれなかったので、巻末にユーチューブの画像を添付します)
少年に誘われた権八もにこやかな表情で聴き惚れているが、母親が「奴さん」を歌い出すと「お供は辛いね」という冒頭の歌詞が我が身に沁みたか、辛い表情になりそっとその場を離れるわけだが、そんなドラマツルギーの前に、幼い少女が踊り出す瞬間にグッときてしまう。これはフェデリコフェリーニのネオリアリズム時代の映画『道』における精神薄弱気味の女性、ジュリエッタ・マシーナがラッパで吹く「ジェルソミナ」とイメージが重なった。
それから『血槍富士』というタイトルは、いかにも勇壮なイメージだが、実際は正反対。例えば「富士山」だが、若様一行が街道を歩いていると大勢の庶民が足止めを食らっている。「どうしたんだ?」と聞くと「お殿様が富士山の眺めがいいということで、野立てをお始めになったんですよ」と言う。ところが、その富士山は安っぽい書割の富士山。
痛烈な皮肉だ。ちなみに野立てをしている大名は渡辺篤と杉狂児。二人とも戦前期を代表する喜劇役者で、出てくるのはこの場面だけなので一種のカメオ出演だろう。
ちなみにラストシーンで権八が殿様と源太の遺骨を入れた白い箱を首から下げているが、江戸時代は基本的に土葬のはずだ。つまり見ている人は直ちに白い遺骨になって戻ってきた戦死者(大半は病死だったそうだが)を想起したことだろう。ちなみにハリウッド映画では清浄機で包まれた大きな棺桶に入って送り返される。『ジャイアンツ』で見た。内田吐夢はこのラストシーンを「海ゆかば水漬くかばね 山行かば草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ」を流し、内田吐夢の反戦意識の強烈さが偲ばれるが、当時の観客は、中国に長期抑留されていた内田吐夢なのに!——と反発したらしい。映画の全体を見れば、それが誤解であることは分かるはずなんだけど……。
ちなみに最初に見たときは、内田吐夢とは知らず、軽妙なタッチから『鴛鴦歌合戦』のマキノ正博、とりわけロードムービー的なところを含め清水宏監督の「有りがとさん」みたいだと思ったが、かなと思ったが、マキノや、清水宏、清水の大親友、小津安二郎等々が、内田吐夢の戦後復帰第1作ということもあって、こぞって協力したらしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?