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東山文化の象徴 ー 銀閣寺

室町幕府八代将軍足利義政が 自身の後継ぎ争いに絡んだ応仁の乱の戦火がまだおさまる前に 東山に山荘として造営開始。

後継者争いに疲れた義政は 将軍職を八歳の子義尚に譲り 隠居後 東山殿と称されるこの地で亡くなるまで造営のかたわら茶の湯などを楽しむことに。

残念ながら 義政は 東山殿の完成を見る前に 54歳で逝去。

正式名称は東山慈照寺といい、義政の法名が由来。 江戸時代に金閣寺に対して銀閣寺と呼ばれるように。

金閣がきらびやかな文化だったのに対して 銀閣は わび ・さびの文化。規模は義満の北山殿より小さなものでしたが、東山殿の会所には中国の絵画・漆器・磁器が飾られ連歌や茶会が行われました。義政が行ったこのような催しから芸能の形が整えられ 東山文化が生まれることに。


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総門


東山殿で現在残っている創建当時の建物は 東求堂と銀閣(観音殿)だけです。

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東求堂(とうぐどう)。同仁斎と名付けられた書斎があり、四畳半の間取りの原点といわれています。義政がたびたび私的な茶会を開いていたことも。茶道や華道など東山文化がこの小さなお堂から生み出されました。


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観音殿銀閣。二層からなり座禅が出来る下層を心空殿(しんくうでん)、上層は潮音閣(ちょうおんかく)と名付け本尊の観音菩薩像を安置。

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後ろから見た 銀閣

画像4銀沙難(ぎんしゃだん)

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向月台(こうげつだい)

銀沙難と向月台は月の光を反射して本堂を照らす役割という説や 月を鑑賞するためなどの説がありますが はっきりとしたことは今も不明。

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方丈。江戸中期建造。

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展望所から見た風景。


銀閣寺は 世界遺産 古都京都の文化財の構成資産の一つです。









































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