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カンボジア人が話してくれた、働くことの意味について

2年前、僕は10日間費やして東南アジア諸国を周っていた。初めての一人旅で、バックパックを背負っていざ東南アジアの地に足を踏み入れた時は、自然とワクワクした感情になったことを覚えている。

これは、旅の過程で、カンボジアのシェムリアップに訪れた時のお話。

僕は、事前にゲストハウスに宿泊を申請していた。無料で送迎がついていたので、空港に着いた瞬間に、ゲストハウスに努めるカンボジア人の方がトゥクトゥクでお迎えに来てくれた。

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そのゲストハウスには、3日間ほど滞在した。初めて訪れたカンボジアだったので、ひとまず有名な場所に行ってみようということで、日中に、アンコールワット遺跡群、ベンメリア遺跡、プレアビヒア寺院を周り、夜はパブストリートにある有名なレストラン、レッドピアノに行って美味しい料理を食べたりした。ゲストハウスに泊まっていた何人かの日本人と意気投合し、上記の場所を回った。

なかには自分が行く予定ではなかった場所もあったが、現地で予測していないことが起こる中、自分の行動を面白い方向へと勝手にずらしていけるのは一人旅をする醍醐味であろうと思う。

現地で予想していなかった出来事に身を委ねたおかげで、自分のカンボジア滞在はより楽しいものになった。

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ゲストハウスに、一人のカンボジア人スタッフがいた。空港からゲストハウスまで送迎してくれたのも彼だったし、僕たちを観光地まで運んでくれたのも彼だった。

口数が少ない人だった。移動中もほとんど何も話さない(僕自身人見知りなので、あまり話を聞くことができないというのもあるが)。

「彼はなんでここで働いているんだろうなー」とふと思った。僕自身、翌年に就活を控えていたこともあり、なんのために働くのかを考えていた時期でもあった。

当時の僕は、働く理由は「人生の何かしらの目標を達成するため」と考えていた。彼にも何かしら目的があって働いてるのかなーと思ったりした。色々とお話をしてみたかった。けれど、(多分)お互い人見知りであったため、結局何も話さずに最終日を迎えた。

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最終日。例のごとく、ゲストハウスで一緒になった日本人とパブストリートに飲みに行っていた。飲みの後は、各自別行動をとった。僕は周辺を散策して、ゲストハウスに一人で戻った。

ゲストハウスに戻ると、ゲストハウスにある食堂で、彼が座っていた。もともと話してみたかったこと、また少し酔っていたことも力となり、ちょうど食べきれずに持ち帰ってきたバナナ焼きを口実に、

「一緒に食べないか?」

と彼に話しかけてみた。流れでビールも一杯飲むことになり、最終日の夜は彼と語りあうことになった。

彼「滞在はどうだった?楽しかった」

僕「最高だったよ。色々と連れて行ってくれてありがとう。」

僕「ところで、君はどれくらいここで働いているの?」

彼「もう15年になるかな。今のオーナーが赴任する前からずっとここで働いているんだよ」

僕「すごいね。そんなに勤めているんだ。」

僕はなおさら、ここで働いている理由について聞きたくなったので、聞いてみた。

僕「なんでそんなに長い間ここで働いているの?」

彼「うーん、考えたことがなかったな。」

考えたことがなかったという言葉が返ってくると思ってなかった自分が驚いた。彼は少し黙り込んでから、口を開いた。

彼「やっぱりここが好きなんだよな。ここの土地も、このゲストハウスの雰囲気も、ここのオーナーも。全部が好きなんだ。だからここで働いているんだ。」

この言葉を聞いて、彼をとっても尊敬するようになった。

日本で仕事観の話になると「なんとなく」で語ることは許されないような風潮がある気がする。それは一理あるとは思う。

でも僕は彼の言葉を聞いた時、彼の言葉の中に何か本質的なものを感じ取った。うまく言えないけど、事実として、彼は仕事を楽しんでいたし、人生を楽しんでいた。


もうこの話は二年前のお話。その後、僕の趣味は旅になっている。お金も稼がないといけないので、そんなに多くは行けていないけれど。

ただ、少ない時間の価値を、そこで得られる経験を最大化するための方法の一つは現地人と話すことだと、僕は思う。これからもどんな出会いがあるのか、とても楽しみだ。

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