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未練の幽霊と怪物 ―「挫波」「敦賀」―

2021.06.30
穂の国とよはし芸術劇場PLAT

直前に企画のKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督である、長塚圭史さんと、作・演出の岡田利規さんのインスタライブを見た。


どうやら「座波」→「敦賀」ver.と
「敦賀」→「座波」ver.があるらしい。
回ごとに話の順番を逆にすることに驚いた😳

私が観劇したのは「敦賀」→「座波」ver.

それぞれ別のお話なんだけど、『能』の構成で成り立っているため、まとまりがあった。

夢幻能の流れ

旅人がある土地を訪ねて、土地の者に出会う 
  ↓
その者が土地にゆかりの出来事や人物について話す
  ↓
最後に、「私こそ、そのゆかりの者だ」と言い残して消える

ここまでの前半を「前場」といいます。この後、主人公がいったん幕の中に入り、「中入り」となります。

中入りの後、再度主人公が登場し、物語の後半「後場のちば」となる
  ↓
旅人の夢の中にその者の霊が現れ、昔の出来事について舞ってみせ、旅人の夢が覚めるとともに、消えていく
(the能com HPより)


また、配役についても能から成り立っていた。

能に登場する役柄

能では、主人公を「シテ」と呼びます。演じる役柄は、神、亡霊の武者、亡霊の女、狂女、現実の男性、女性などに加え、天狗や龍神など超自然的な存在の場合もあります。物語の前場のシテは「前シテ」、後場のシテは「後のちシテ」といいます。夢幻能の前シテと後シテは全く違う役柄であるにもかかわらず、多くの場合、同じ能楽師が演じます。

能は「シテ中心主義」とも言われ、シテは一曲の主役であると同時に演出家でもあり、奏演者のキャスティング、どう演出するかなど演目全体の決定権をもっています。

シテの相手役を「ワキ」といいます。「ワキ」はほとんど全ての能に登場する、非常に重要な役柄です。旅する僧侶、主役の仇など様々な役を演じますが、シテと違うのは、「生きている人物」という点です。シテに遭遇するワキは生身の人間であり、多くの能で、死者が生きている人間に魂の救済を求めるという図式になるのです。

能では、シテとワキのふたりだけで進行することも珍しくないほど、最小限の立方たちかた(役に扮する登場人物)で展開します。

夢幻能で、前場と後場をつなぎ、経過した内容を説明したり、ワキへアドバイスしたりするために、狂言師が登場する場合がありますが、これを「間狂言あいきょうげん」、また「アイ」ともいいます。
(the能com HPより)

観光者・旅行者のワキがとある土地に来て、シトを目の当たりにする。それについて知りたいと地元の人アイに話を聞く。アイは話終わるとササっと帰ってしまう。そして後シトが登場し、舞う。舞が終わり消える後シト。ずっと後シトを眺め、佇んでいたワキは静かに帰って行く。


シトは「敦賀」では、過疎地が社会貢献の象徴、地域の復興と夢を抱いて建った高速増殖炉の「もんじゅ」という未練の怪物

ここ1年、気になってる女優さんの石橋静河ちゃん😊💓

「もんじゅ」は、設計ミス、ナトリウム漏洩火災や度重なるトラブルの末、本格稼働に至らずに廃炉となってしまった20世紀の夢の崩壊。原子力政策が編み出してきた課題の多くは取り残されたままの今の日本。稼働することは無く、使用済み燃料の後始末もされず、ただ佇む「もんじゅ」の建物。そんな「もんじゅ」の核燃料サイクル政策の亡霊として、舞う石橋静河ちゃんの儚げで透き通る声、どことなく掴めない波のような、静かでしなやかな動き。美しかった🥺

地元のおばちゃん、アイ役の片桐はいりさんの、街の復興を願って建てた「もんじゅ」の末路から「よそものに喋ることはない」と。その言葉の中には私たちの夢と「もんじゅ」の虚しさを踏み躙ってくるなというような意味も感じられた。なんとも考えさせられる。

そして亡霊の舞を見て、旅行者は静かに帰る。


「座波」でのシトは、新国立競技場のデザインコンクールで最優秀賞をとり、建設に向かって順番されていたが国の経済的理由やその他の言い訳により計画が白紙となってしまった。女性建築家の「ザハ・ハディド」さんの未練の幽霊。

建物の構造、客席の配置、経済性や工期の短縮など全てにおいて洗練されたデザインであったが、制作途中で、デザイン性には欠けるが多くの太陽光パネルをつけた持続可能なエネルギーに重視されたものへと政治権力によって変えられた。
その後ザハ・ハディドさんは亡き人となった。

この作品ではザハ・ハディドさんが幽霊として出てくるが、計画が白紙になったことの怨念ではなく、ザハ・ハディドさんの建築家としての情熱が表されている。

新国立競技場建設だけではなく、聖火ランナーの辞退、女性差別や開催の有無、コロナ禍での在り方などなど…当初は1年前の2020年に上演予定だったけど、コロナで延期になって。でも、2021年の今、この時代に取り上げられるべく内容だなと感じ、ゾクゾクした。

ザハ・ハディドさんの幽霊を演じるのは森山未來さん。ずっと生で観たかった、やっと観れた。
ズン!バン!ねっとり………凄すぎてなんと表せばいいのかわからない、圧巻の体表現🥺
石橋静河ちゃんが「静」とするなら、森山未來さんは「動」って感じ。かなり激しかった。そして美しかった。

そして幽霊の舞を見て、観光者は静かに帰る。


この話の中で当事者でもない、被害者でもない、私は旅行者であり観光者。
その立場から、それらの問題や日本の政治とどのように向き合っていくのか。とても考えさせられるる内容だった。


戯曲や演者が素晴らしいのは言わずもがなだけど、この作品を創り出す音楽の存在がこれまた素晴らしくて。
見たこのもない楽器(ダクソフォンというらしい)が並んで、聴いたことのない音色が美しくて、心地よくて、どこかしら懐かしくて😌♫
これまでの観劇人生において、何度も奏者を望遠鏡でマジマジと見たのは初めてかも。あの世界観を創り上げる音楽、最高でした👏✨


日本の伝統芸である能を、現代劇に落とし込んだことで、私の中の能の敷居の高さがちょっと緩和された気がする。面白かった!観れてよかった😊

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