文月7

京都在住 うさぎと夫の三人暮らし。育てられないけど植物が好き。美味しい塩の収集家。

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最近の記事

2002年 カナダヒッチハイクの旅〜プリンスエドワード島

 15時にシャーロットタウンまで宿のご夫婦に迎えに来てもらったわたしたちは、一時間ほど車に揺られモンゴメリの故郷キャベンディッシュに到着しました。  車の中で宿の説明を受け手続きも済ませたので、到着するとそのまま部屋に案内してもらえました。  周辺を観光に行きたいけれど、なんだかとても疲れたので小一時間ほど仮眠をとることに。6月のカナダはサマータイムで日が長く、20時を過ぎてもとても明るいのでした。なのでたとえ19時に起きたとしてもじゅうぶんに出掛けられるのです。とはいえ、翌

    • 2002年 カナダヒッチハイクの旅 〜プリンスエドワード島

       モンクトンからバスで4時間、PEI 州都シャーロットタウンに到着。  その日の宿泊先を決めていなかったのでバス停のインフォメーションに置いてあるいくつかのパンフレットの中から宿を選びそこに行きました。『Aloha Tourist Homes』  宿に到着。長身のおじいさんが手続きと中の案内をしてくれました。かわいらしくかなり綺麗なゲストハウスでした。キッチンは自由に使え、先に宿泊していた日本人の女の子二人が「サーモンのクリームシチューがたくさんあるのでどうぞ!」ということ

      • 2002年 カナダヒッチハイクの旅~VIA鉄道でモンクトンへ

         トロント空港からバスで移動し市内のユースホステルに宿泊しました。レインボーの旗が掲げられた、その当時からLGBTを訴えていたユースホステルでした。  長方形の1室に8台ほどの2段ベッドが置いてあり、窓側にある1台がわたしと姉の寝床。姉は「噛む蜘蛛がいるから必ず自分のシーツに包まって寝るように。絶対に直にベッドでは寝ないように」と言い、バックパックから2人分のシーツを取り出しひとつをわたしにくれました。 「現金とパスポートは寝る時もシャワーのときも必ず身につけておくこと。公共

        • 2002年 カナダヒッチハイクの旅

           姉がワーホリでカナダに行っていたこともあって、その姉を頼りにわたしもカナダ旅行に行きました。  季節は6月。  当時、日本ーカナダ間は往復6万円。神戸元町の、山手幹線沿いのビル2階にある小さな旅行代理店で手続きをしたのを覚えています。  姉からのリクエストで大量のうまかっちゃんとチキンラーメンを買い込み、スーツケースではなくバックパックで来いとのことだったのでそこに詰め込んで。服も大して持たず、下着の着替えだけ3日分くらい詰めて行きました。初めての海外旅行で、「せっかくだか

        2002年 カナダヒッチハイクの旅〜プリンスエドワード島

          とりあえず、元気出しとこ!

           なんだか気分がすぐれず、その気分のすぐれなさがいつものすぐれなさとはちょっと違っていたのでかかりつけ医を受診しました。  結果、癌が再々発している可能性。と、その前に血液がえらいことになっていました。  時間をかけてジリジリと調子が悪くなっていたのでそこまで切羽詰まって悪いとは思いもせず、かかりつけ医から速攻大学病院送りになりました。  すぐに輸血のはずだったのですが、外来で見ていただいた先生の判断で点滴と飲み薬で一ヶ月かけて治療していきましょうということになりました。そ

          とりあえず、元気出しとこ!

          薬を飲むこと

           わたしは過去10年間のあいだに癌摘出で2回、脳腫瘍摘出1回の計3回手術をしました。なので当然ながらたくさんの薬にお世話になりました。  わたしは異常なほどの針恐怖症なので、検査に必要な採血や点滴も、それがある日は食事も喉を通らなく、回数をこなせば慣れるだろうと勝手に周りが思っていることも知っていたので3回目くらいからは泣き言も吐けなくなり勝手にひとりで追い詰められて苦しみました。  もちろん主治医や看護師さんはそんなわたしの不安に対してもきちんと向き合ってくれていました。太

          薬を飲むこと

          あれ?どした?・・・働けない

           先日、無事有休を消化し終え、退職しました。  そしてその翌日から、新しい職場で働くこととなりました。  初出勤以前に、2回ほど会社にお邪魔していて(そういうシステムらしい)、各所に挨拶と、わたしの教育係になる女性とも挨拶を済ませていました。なにかあったらいつでも連絡してねってことでLineの交換もさせていただいていました。なので初日も緊張せずに業務に入っていけました。  職種はレストランサービス業の裏方なのですが、昔レストランの仕事をしていたので業務理解もしやすかったし、

          あれ?どした?・・・働けない

          2024年からは。

           長い有給消化期間が終わり、本日無事退職しました。  そして明日から新しい職場です。すごくとんとん拍子に決まった仕事で、普段のわたしなら「こんなにとんとん拍子に決まったのだからいい方向に向かっているに違いない」と考えるのですが、今回はちょっと違いました。  有給が終わる10日くらい前から、よくわからない不安のようなものが胸を覆っていて鬱々とした時間を過ごしていました。  たぶん癖になっているんでしょうね、不安感。 ・嫌な上司だったらどうしよう ・面接で優しかったけど実は嫌

          2024年からは。

          ただ、起きたこと

           5年前の深夜、突然てんかん発作が起こりました。  発作の間の記憶はわたしにはなく、でも言われてみたらなんか苦しかったかな?でも夢だよね?という感覚だけが残っていました。  夫に名前を呼ばれて、うっすら目を開けたら救急隊員の方々がわたしをのぞき込んでいて、それがあまりにも恐怖すぎてパニックになったあたりの記憶はあります。おそらく直後気を失ったのか、次の場面では救急処置室で点滴を受けていました。  原因は脳腫瘍で、過去にも何回か起こった可能性があるということでした。  幸い発

          ただ、起きたこと

          風の音、虫の声が聞こえない日々

          2023年12月  12月。退職までの有給消化中な日々、白いご飯とお魚と、お漬物となぜかブロッコリーが美味しくて仕方がない。  仕事柄もあって環境問題意識や健康志向な人たちに囲まれて仕事をしていたので、なんとなく無添加でヴィーガンで減塩な食生活になっていたのだけど(収集するくらい塩好きなのにね)、しっかりと動物性たんぱく質と塩を摂取してごほうびおやつを食べていたら、なんとなく身体の輪郭がしっかりしてきたような、血が濃くなって身体の末端までちゃんと巡っているようなそんな感覚を覚

          風の音、虫の声が聞こえない日々

          仕事を辞める。さあ、なにをする?

          11月いっぱいで仕事を辞めました。理由を上げればいろいろと出てきますが、結局のところ『時期がきたから』に尽きると思います。  おかしな話ですが、なんとなく10月中旬くらいから「もう終わるのかな?」という気がしていて、業務体制を整えたり引き継ぎをしたり等を進めていたのでした。当然会社には私から辞めるということを伝えたのですが、やり遂げたというか清々しいというか、そんな気分で会社を去ることができました。  有給がたくさん残っていたのでしばらくは有給消化になります。とはいえぼんやり

          仕事を辞める。さあ、なにをする?

          お気に入りの木の下で

          いい歳をしてなんですが、同年代の友達のお誕生日会を、『私たちの木』の下でやりました。  私と友達はよく河原を散歩するのですが、その木はその途中にみつけたのでした。それからは『私たちの木』と呼んで、休憩したりお茶をしたりお昼を食べたりしています。  低木で、みつまたに分かれている枝がちょうどアーチのように中に空洞をつくって覆いかぶさる、そんな子供の秘密基地のような場所なので、実際、子供たちの遊び場でもあるようでした。  穴が掘られてたりシロツメクサの冠が茶色くなって木にひっか

          お気に入りの木の下で

          自己紹介

          はじめまして。 noteを始めてまる3年になりますが、書いては消し書いては消しとしていたら中途半端な下書きばかりがたまってしまいました。その中からどれか公開してみようかと考えて、過去の記事を読んではみたもののいまいちピンとこず、とりあえずそろそろなにか書きたいなと思いながらこの自己紹介を書いています。 京都を流れる有名な川の逆Y字の分岐点右に住んでいます。 家族は、夫とうさぎとの3人家族です。子供には恵まれませんでしたが「ぼくらには、やらなくてはいけないことがきっとほかにあ

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