暇空茜問題を終わらせるために――東京都が動くべき時(追記あり)


暇空問題のようなことに対し行政は刺激しないように慎重に構えるし、マスコミも刺激したり利したりしないようにとか単純に上が分かっていないとかで積極的に報じない。研究者、言論人なども同様だし、巻き込まれることへの警戒感もある。ただ、そのために被害が継続、拡大した教訓はいろいろある。

2000年代バックラッシュは後手に回った顕著な例だが、その教訓が生きないままに、暇空問題の土壌ができてしまったし、暇空問題への対抗も決して強くない。そもそも2020年代バックラッシュへの対抗が弱いどころか、トランスジェンダーのことなどでバックラッシュ側を利するような事態にすらなっている。

元々暇空問題については対岸の火事のように見ていた人は少なくないし、そのままもう終わったように思っている人が結構いるだろう。そうではなくて、住民訴訟等が続く限り終わらないし、被害・影響を受けているのは4団体だけではない。それにバックラッシュは進行中で暇空問題も一つの現れに過ぎない。

まず暇空問題は終わらせなければならないということでは、行政はもっと表で毅然とした対応をすべきだし、マスコミも問題意識を持って取材を重ねている記者に積極的に書く場を与えるべきだ。静観、傍観してきた人たちも前に出てきて欲しい。暇空問題をどう終わらせられるかはこの先の展開にも影響する。

2000年代バックラッシュや在特会問題の苦い教訓は繰り返してはならない。このことは暇空問題だけではなく、共同親権問題にもLGBTQ+差別問題にも当てはまる。いずれも攻撃側は重なり合っているし、打算的な部分はありつつつながっている。一方、対抗側は局地戦のような格好になってしまっている。

もちろん、ジェンダーに関わる課題は多種多様にあって、取り組みも研究も細分化され、それぞれが手一杯という現実もあるのだけど、個々の分野を超えたバックラッシュという状況に対してはもっと相互乗り入れ的に対抗していけないと、個々の分野内では対処できない事態がますます広がってしまう。

次から次へと裁判に引きずり込んでさ。どんなに理がなくても訴えられたら対応せざるを得なくてそれだけで疲弊する。「俺に楯突くとどうなるか」という脅し、見せしめでしかないし、裁判のエンタメ化というだけでなく、暇空自身が他の裁判の現実から目を背けるために別の裁判を作るというスパイラル。

もちろん都だって現場の職員は疲弊している。だから4月人事で大きく動かした。組織としてはまだ人事上の配慮ができる。ただ、新しい職員もすぐに疲弊する。いくらローテーションできると言っても、それが何年も続くのは、本来の仕事ができない職員たちにとってもしてもらえない都にとっても損失。

住民訴訟に形式上乗っている争点以外についても暇空らはいろいろ誹謗中傷してるから、住民訴訟の帰趨を待たずに立件できるはずなのよ。特に都に対するものは。そして、誹謗中傷だと裏付けられる文書も都は豊富に持っている。例えば「ハンコ」問題は住民訴訟とは関係がない。

平裕介も暇空もいつまでデマ飛ばし続けるのか。

とにかく、何でも前提事実から違うのよ。だから経緯を遡って調べたり元の文書を読んだり、必ず裏取りをしないと暇空らの発信に騙されちゃうのよ。それを「あれ?」っと思わず妄信する連中でエコーチェンバーになってるし。

さっきのoppもそうだけど、法令とか文書とかでこうなっているという話すら大抵が誤読や誤解釈だからね。暇空らはまともな法令理解も文書読解もできないという前提で元にしっかり当たらないと、すぐにその誤読・誤解釈が前提事実にされてしまう。

ずっと各現場が歯を食いしばって頑張っている状況。それが異常で不条理。そして、女性支援分野でも他の分野でも「暇空モデル」が模倣され再発しかねない土壌がある訳で、行政や政治が粛々と対応しているだけではまずいのよ。

追記

暇空問題で女性支援団体には4団体に限らず膨大な実害と負担がもたらされて、継続中。大量の攻撃に表で一々対応していたら際限ない。各団体は限られたリソースと収まらない不安の下で歯を食いしばって必死に活動を回している。最初に標的となり結果的に前に出ることになったColaboも表での対応は一部。

暇空問題はバックラッシュの一つの現われであるし、不当な攻撃であって女性支援団体側に問題がある訳でも個別の揉め事という訳でもない。だから、当事者となった団体に委ねるでも前に出させるでもなく、広く対抗する取り組みが不可欠だし、前に出られる人がどんどん前に出なければならない。

もっとメディア、研究者、運動関係者などには声を上げ、前に出てきて欲しい。もちろん、記事にするためにまず社内で闘わなければならない記者がいることも、それぞれの目の前のことで手一杯な人ばかりであることも知っている。そういう意味でも厄介な問題だがバックラッシュはそうやって進行してきた。

行政もこういう問題で表立って対抗することが難しいし異例であることはわかる。でも2000年代バックラッシュでもそうしてじりじりと後退したし、性教育はじめ当時できてしまった枷から未だ逃れられなくなっている。暴風雨をやり過ごすつもりでいると大きく後退した地点がデフォルトになってしまう。

暇空らの執拗さについて書いたら、お前も暇空のことばかりで執拗だろというクソリプが来て笑ったが、女性支援団体などへの大量の不当な攻撃に対抗してるだけだよ。誤りでもすぐに既成事実化されてしまうのを座視してる方がおかしいだろって話。誰かがやらなければならない。


フェミニストを叩きたい、Colabo・仁藤さんを叩きたいから始まった話が公金と結び付き、恐らくは政治的な配慮が働いたのであろう、東京都の前例からすれば不自然な形で暇空の住民監査請求が受理され、暇空はこれを「監査を通した」というミスリーディングなレトリックで喧伝してきた。

都や厚労省も当初は無防備なところがあったし、「中立的」なスタンスを貫こうとした。攻撃が激化する中で事業と受託団体を守る姿勢を前面に出すように切り替えるべきだったと思うのだが、通例通り表では抑制的なスタンスで安全運転に徹した。暇空らの背景や広がりに得体の知れなさがあったとは言え。

ただ、そのことによって、団体に大きな被害と負担がもたらされ、それは今も続いているし、受託団体に止まるものでもない。もちろん職員も疲弊したし異動で新たに就いた職員もそうだ。若年被害女性等支援事業にも団体の独自性や柔軟性を阻害するような変更が加わってしまった。防戦の中の後退。

暇空の影響力は格段に落ちたが住民訴訟等が続く限り被害が終わることはないし、暇空問題を生んだバックラッシュは進行中で、双方向に影響を与え合っているし、増幅もされている。暇空問題とバックラッシュ、そこから個々に噴出する問題。前史がありつつ10年代から続く状況への「多正面」の闘い。

一方で、2回の刑法改正、AV出演被害防止・救済法、困難女性支援法はじめ進展もあるのだが、こうした立法や政策などもまた反動を生むという中で、決して流れは前向きだとは言えない。むしろ、成果すらもじりじり後退させられる懸念が強い(困難女性支援法の都計画への不安もそうだ)。

何度も書くが、こうした事態に「粛々と対応」「刺激せず」「黙殺」といった行政や政治の「知恵」はもはや通じないと考えるべきだ。それは既に2000年代バックラッシュや在特会/ヘイトスピーチ問題の教訓だったはずだが、ネット殊にSNSの進展でなおさら従来型の対応は有効性を失ったと言える。

もちろん、アメリカの状況が顕著に示すように、分断・対立の激化のリスクはあるし、「政治性」を巡る厄介な状況を招きかねないことも確かだ。ただ、そこは新たな「知恵」「解法」を模索しつつ踏み出さないと、このおかしくなった状況から脱する道が閉ざされ後退する一方になってしまう。

当然、以上のことはメディアなどにも当てはまることで、それぞれの内部で抱えるジェンダー不平等などの問題は改めていくと同時に、論争を避ける「安全運転」はないと覚悟し、攻撃から記者らメンバーを「組織として」守る姿勢を明確にして、発言・発信を保障するだけでなく後押しして欲しい。

例えば、今ジャニーズ問題は堰を切ったかのように報じられているが、その中でも選択性が働いていることは見て取れるし、じゃあ男児の被害を含め性被害が現場の記者の問題意識のままに記事にしやすくなったかと言えばそういう訳でもない。埼玉県条例案も委員会可決で初めて大事になった。

違う角度で言えば、不同意性交等罪も「AV新法」も困難女性支援法も地道な積み上げの末に実現したものだがその途上での報道等は少なかった。それが逆に「急に動いた」「裏で動いた」かの陰謀論も可能にした。これはジェンダー課題の一つのパターン。問題意識を持ち取材する記者がいても記事にできない。

ほんと、闘い続けるしかないからね。つながりながら、支え合いながら。


みんな言い知れぬ不安を抱え負担も大きくなる中、資金繰りの不安にも直面しながら、活動を止めてはならないと歯を食いしばって頑張ってるんだよ。その現場のことも、この分野のことも何も知らず、ただ気に食わない相手を叩きたいと言うだけでさ。暇空も、同調、便乗する奴らも、絶対に許せない。

これが暇空問題。全然終わっていない。例のAVだってその一端。女性支援団体の被害と負担はずっと続いているし、直接間接に利用者・支援対象者に影響を与えている。SNS・ネットが必須の彼女たちが女性支援団体叩きに接しての不安と恐怖も考えて欲しい。もちろん都など行政職員の負担も続いている。

ずっと言ってきたが、暇空問題はバックラッシュの現われでありその一つにすぎない。バックラッシュの土壌から養分を得、他の動きに「モデル」も養分も提供している。若年女性の支援団体だけの話では済まない。困難女性支援法施行への影響も見えているし、そこだけにも止まらない。この危機感をもっと!

暇空問題は共同親権問題ともつながり重なっている。共同親権問題も一部女性が影響を受ける個別問題ではない。ミソジニー、性差別・不平等が凝縮して現れている問題。これもバックラッシュの流れの中にあるし、ここから逆に様々波及する。それぞれの最前線を限られた人の熱意に委ねておくだけではだめ。

だから、行政も政治もちゃんと前に出てくるべきだし、静観、傍観してきた人も各々事情はあるにせよ、暇空問題や共同親権問題でできることはして欲しい。特にメディア、研究者ら専門家、他分野含む運動団体・支援団体関係者など。

暇空問題に巻き込まれた団体は活動を止めないことが最優先だし、「説明しろ」攻撃に応じ始めたら際限がないからなかなか表立って声を上げられない(結果、最初に標的になったColaboが前に出ていることにもなった)。共同親権反対で前に出ている人たちは物凄い攻撃を受けながら必死に対抗している。

だから、ずっと言っている通り、都には踏み出して欲しい。知事なりが明確なメッセージを出すこともそうだし、刑事告訴をすることもそうだし。不条理な攻撃から女性支援団体、利用者、職員を守る、その姿勢を鮮明に行動すべき。

暇空問題は意見の違い・多様性の問題でも住民の権利の問題でもない。そういったことを隠れ蓑にした、ミソジニーや差別意識に基づく不当な攻撃の問題なのだということ。そんなことのために民主主義のための制度が濫用されているということ。

12月26日追記

自分達は間違っていないのだから不当な攻撃はやり過ごし粛々と仕事をする、一度取った方針・構えは変えないという官僚的節度とも言うべきものは捨てて、状況に応じて果断に対応する必要性を暇空問題が如実に示している。都が初動のままの姿勢を取り続けてきたことで失われたものは余りに大きい。

と同時に、小池都知事はじめ政治部門が一貫して引いたままで前に出てこないし、内部的に方針変更を指示した形跡もないというのは本当に解せない。いくらトー横視察などで絵作りをしても、暇空問題を片付けて正常化させない限り直接間接に被害発生を放置することになるし、政策遂行力が阻害されたまま。

暇空問題は政治的対立でもなく政策理念や見解の違いでもなくミソジニーと差別意識に駆動されたバッシングに過ぎないことは都の官僚も政治部門もわかっているはずだが、そんなバッシングに場を与え影響力を持たせてしまった対応を即刻修正しなければ一層悪化するという切迫感をいい加減持って欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?