タイ料理とビールでひとりご飯、そして子供の頃の出前の話
「ごめん、急だけど、今日食事して帰っていいかな?」
職場にいる夫からLINEが入る。
私は、夫が急な外食をすることになっても、怒ったことも困ったこともない。むしろ、ここぞとばかりに、テイクアウトや手抜きごはんで済ませて、自分だけの時間を楽しむ機会としている。
連絡さえ入れてくれれば、許可を取る必要などない、と言っているのに、毎回、夫は丁寧に許可を取り、謝罪を入れてくる。
謝ってほしいことは他にあるよ、とこちらは思うのだけれども。
頼んだ洗濯物の干し忘れや、ソファで寝てしまって起こしても起きないことや、寝ている間に、掛布団を自分の身体に巻き付けて占領してしまうことなどなど。
さて、今晩、私は何食べよう。たった今、買い出しを終えて帰ってきたばかりなので、もう一度買い出しに行く気が起きない。かといって、自分ひとりのために今日の献立で夕食を作ると、中途半場に食材が余ってしまいそう。今日の献立は明日へそのまま持ち越し、自分の分だけ簡単に作るか、調達するか、がよさそうだ。
結局、Uber Eatsで注文することにした。タイ料理屋さんのおつまみセット ━ソムタム、フライドチキン、ラープのセット━ を注文した。
このタイ料理屋さんはバンコクにもあったお店だ。タイの思い出にひたりながら、これに、ビール。最高じゃないか!
おつまみセットは、注文から40分くらいで到着した。さっそく、ビニールから出してみると、ちょっとした惨事になっていた。
紙のパックに入っていたものだから、ソムタムやラープの汁がパックから染み出て、テーブルにもじっとりと水分がこぼれた。
プラスチックごみ削減のために、最近は、紙のお皿やカトラリーが使われることが多いけれども、これだけ汁が出る食材だと無理があるのではないか...。プラスチックが紙に置き換わるとそれはそれで、地球にやさしくはないのではないか…。
思い起せば、子供の頃の出前は、器は使い捨てではなかった。翌日にお店の人が回収にくるか、または、こちらがお店にもっていって返却をしたりしていた。お寿司でも、うなぎでも、ラーメンでもそのようなシステムだった。手間や人件費の問題もあって、そのシステムは消滅したのだろうけれども、そんな時代もあったよなあ、と思い出す。
田舎にいた子供の頃は、親戚も近所に住んでいた。集まって夕食を食べるときは出前をよく頼んだ。それぞれの家に子供が2人、3人といたから、複数の家族が集まるとそれはもう、にぎやかな会だった。
あの時の親たちは今の自分より若かったり、同世代だったり。当時の子供たちはすでに中年になって、親になっていたりする。
子供たちが子供でなくなっていくにつれ、そういう食事の機会はなくなっていて、だんだんと疎遠になっていった。
もうずいぶんと長いこと、会っていない。私は彼らが好きだった。仮に、大人になってからも付き合いがあったら、うまく付き合えただろうか。おじちゃんも、おばちゃんも、いとこたちも。
子供時代だったから、親戚の中の子供たちとしてそこにいたから、美しい思い出なのかもしれない。
タイの思い出にひたるはずが、思考は子供時代の田舎に飛んでいってしまった。当時は、タイ料理も食べたことがなかったのに。
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