ヒンメリを作っている人、ヒンメリに魅了されている人の声を紹介することで、ヒンメリの文化的な側面を考える「ヒンメリが生まれ、育まれる場所プロジェクト」。
第6回は引き続き、2018年12月に PÄIVÄN LEHTI が公開した記事を翻訳します。ヒンメリ研究者のオスカリ・キイスキさん、ヒンメリストのエイヤ・コスキさんの資料を引用している内容をご紹介します。
ヒンメリの歴史を紐解く
かたちが変わっても
文化は残る
ここにきて、まさかの、ヒンメリ第2形態説に胸が躍ります。フィンランドの国立古代委員会のアーカイブからいわゆる「初期型」の写真を見つけることができました。著作権を調べてみて、リンクを貼っても大丈夫なことがわかったら、のちほどこの記事に写真を追加しようと思います。
クリスマスツリーが「漂着」したことで、絶滅の危機に瀕したヒンメリ。マルッタ協会が懸命に復活の道を探しました。1936年、彼らは新聞でヒンメリや昔ながらの藁飾りを作るよう各家庭に呼びかけたのだそうです。この件で意見交換をしたフィンランドの方は「マルッタの救済活動」という呼び方をしていて、面白い表現だなと思いました。
他の国ではこのような「救済活動」は起こらなかったと考えられています。だからこそ、何年にもわたってヒンメリは、フィンランド独自の伝統的な手工芸として語られるようになったのでしょう。
キリスト教との関連については誤訳があるかもしれません。この件はもう少し勉強します。
次回に続きます。