理転文転、二転三転

私の文章のルーツは、小学1年生にさかのぼる。
みんなが1年に1冊書き終わるか書き終わらないかという
「あのね帳」を1年で8冊書いた。
当時の習い事は英語とばあちゃんから勧められた川柳で、
毎月5句、ばあちゃんの厳しいダメ出しをくらいながら必死に作っていた。
思えばあれが初めての「執筆締め切り」や「FB」だっただろう。
未だ五七五は体に染みついてて数えなくてもわかる。
私が文章のリズムにこだわってしまうのはこのせいだと思う。

と、ここまで読んで
「だからライターになったのね」
と思った人は多いだろう。でも割とここまで二転三転あったのだ。

高校までは立派に文系で、高校でも文系の成績がよかった私だが
高2のときの担任から言われたこんな言葉であっさり理転する。
「理系そこそこで文系もできたら、良い大学入れるよー。」
当時、バイオ系ホラーと石ノ森章太郎にドはまりしていて
サイボーグ作りたいななんて思ったのがきっかけだった。

しかし当然付け焼刃の理系は通用せず、
1年浪人してようやく九州大学農学部に入学。
正直農学なんざ縁もゆかりもなかったが
英語の配点が高かったので安全圏でここにした。

住めば都の人間なので大学は楽しかった。
研究室でもそれなりに期待されてた(気がする)し
博士に行こうと思っていた。

それが、夫との出会いでひっくり返る。
同じ大学だった夫は、なんかもう研究者のお手本みたいな人で
私は大して研究したいことがあるわけでもないのに
大学の名前にしがみついて博士に進もうとしていることが
たまらなく恥ずかしくなったのだ。

「私は研究者になれない。研究者を支える人になろう。」

そう思って研究職についた夫と結婚することにしたわけだが
就職せずに結婚すると言ったときには多くの人から
「九大の院まで出てもったいない……」
と言われたし、主婦になってパートの面接では
「うちにはもったいない人材で……」
(=高学歴職歴なしなんて怪しい怖い)
と何度も断られた。

結婚した後は、しばらく無理してパート勤めをしていたが
子どもが生まれてからはフリーランスになった。
文章を書くのが好きだったし
初期投資のお金がなかったのでライターを選んだ。
ライターの道はびっくりするほどスムーズで
あっという間にパートで稼いでいたころの金額を超えた。

なあんだ、結局私って文系だったのね。

三つ子の魂百まで。こうして文系に戻ってきて終わり。
そう思っていた。

で、なんやかんやあって
先日、Newtonに記事が載った。
ご存じの通り、ごりごりの科学雑誌である。

理系に、戻ってきてしまったのだ。
ついでに言うなら大学のとき目指した「研究者を支える人」に
別の方面でなれてしまった。

もともと文系で、理系に進んで、文系に戻って、理系に戻って。

ちなみに今はと言うと、理系の仕事が増えて
頭がすりきれそうになってしまったので
どちらかというと文章重視の、おもしろ記事の仕事を始めたとこ。
つくづく定まらない私である。

研究者として何かを解き明かしたいと0から思いつけることもなかったし
作家としてはっと息をのむような表現を作り出すこともできなかった。

でも私は
理系の才能がないからこそ、研究を読み解く能力は人一倍ある。
詩人や作家のように目を見張るような表現はできないけど、
誰しもわかりやすく、耳心地の良い文章を組み立てることはできる。

理転文転、二転三転
ぐるぐるやってきたからこそ身に付いた能力なんだと思う。

中途半端も極めればスキル。
流れに身を任せてその場その場でできることをやれば
割と役に立つ人間になれるのかもしれない。


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