あるものだけでいいのに

もやもやしていたら、また時間が無くなってしまったので、今の気持ち。

給料が安くて勤務時間が長い仕事を結構長いことやってたんですよ。それについてはとりあえず省くけど、とりあえず家に帰ってくるのはいつもまあまあ遅めでした。

当然、大好きなフィギュアスケートの放送にはほとんど間に合わなかった。電車の中でワンセグを見てたけど、電波が悪くてなかなかちゃんと映らないし、音も出せない。小さな画面の中で動く選手に頭の中で音楽を当てながら、必死で見てた。でも、ほとんどろくに見られていなかった、というのが正解。

家に帰っても録画機器はない。BSも映らないしライストもダメ。携帯で動画を見ると重くてしょっちゅう固まるから、よっぽどの時以外は滅多に見なかった。どうにか放送時間内に帰れても、疲れてテレビの前で座ったまま寝てしまうことも少なくなかった。せっかくの名演技も素敵な選手たちも、実は相当な数を見逃している。

むしろ会場に足を運んで、無理矢理仕事や睡魔の邪魔が入らない状況に持って行き、アドレナリン全開にしてひとつでも見逃さないように必死になる方がよっぽど集中できた。いや、そこまでしないと集中して楽しめなかった。現実と断ち切って、趣味に没頭できる環境を自分で作らなければ、現実に引きずられて楽しむ時間を持てなかった。

その頃の悔しさや悲しさをずっと覚えているから、見られるだけましだ、と本当に素直に思っている。昔は確かにろくでもない放送が多かったし、いちいちキーキー怒ってたしみんなそうだったのもよくわかる。でも今は違う。生放送にこだわるならライブストリーミングがある。後日でもいいからきちんとしたテレビ放送にこだわるのならBSやCSがある。アプリなども充実するようになってきた。
これだけ選択肢が増えたのに、どうしていついつまでも地上波に文句を垂れ流し続けるのか。ファンの需要には随分応えてくれているように思うのに。まだ必要?どうしても自分の思うとおりの放送じゃなきゃダメなの?
ファンが見て面白いと思う放送が、あまり興味のない人にとっては決して面白いとは言えないかもしれないと想像してみることはできない?

ほかのスポーツで考えてみるといい。自分があまり興味のないスポーツ。聞いたこともない選手を何の説明もなく延々と流されて興味を持つだろうか?そもそも見るだろうか?
メディアの消費者は馬鹿だと思われてる。実際馬鹿なんだと思う。馬鹿に合わせてコンテンツは作られる。みんなそんなに馬鹿じゃない、と思いたいけれど、正直びっくりするような人たちがたくさんいて、その人たちにもわかりやすいように作ってあげるコンテンツも必要なのだ。そうでなければまず「きっかけ」にすることができない。

そういうものだと思えばいい。スケートファンのための放送ではないと思えばいい。たとえそうであっても、面白い映像が挟まれることもあるし生放送してくれることもある。楽しもうと思えば楽しむ方法はいくらでもある。不満ありきで放送を見ているから不満ばかり出るのだろう。それはあまりにも非建設的だし、聞いてて疲れて疲れてしょうがない。それに昔に比べたら、放送内容は随分マシになっている。それは確かなのではないだろうか?そこは評価しないんだろうか?

地上波すら、見たくても見られなかった私からすれば、あまりにも贅沢すぎてついていけない。一方的にわめき散らすだけでは相手の心は動かない。少しずつでも放送の内容が変わってきたのは、一部のファンが騒いだからではなく選手たちの素晴らしい演技が制作側の心を動かしたからだと思ってる。このままでは皆、単なるクレーマー。クレーマーの言うことにいちいち折れていては仕事にならないしそんなことはやるべきでもない、勤労経験があってもそのことに思い至らないのだろうか、そんな風に考える。

自分の好きな選手を取り上げたら大いに褒めて、そうでなければイヤミの応酬、そういうのも本当に疲れた。どの選手も応援したいけどこれはスポーツ、仲良しごっこをしてるわけじゃない。結果はある意味ですべてだ。地上波しか見られなかった私は地上波放送だけでも見られるのがすごく嬉しかったし必死で見てた。ゴールデンタイムにこれだけ時間を割いてもらえるようになったこと、テレビである程度見られるようになったこと、そのありがたさを私は忘れないでいたい。そんな風に考えたら、誰かの心を引き裂くような棘のある言葉は部屋の隅でじっとしていてくれるんじゃないかなと思う。

急いで投稿。間に合うかな。

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