アルタイルの行間⑤

春輔の脳裏に、いつも窓口に座っていた青年の姿が浮かんだ。
「あの爽やかなお兄さんか。冬二郎にも貴秋にも圧倒的に足りない爽やかさに満ち溢れた」
「ええ、誰よりも君が持ち合わせない爽やかさに満ち溢れたお兄さんです」
春輔の嫌味にも冬二郎はまったく動じない。

「アルタイルのオーナーと私は知り合いでね、昔から通っていたんです。その昔はシネマ・アルクトゥルスという名前だったのだそうですけどね」
「なんだよ、舌噛みそうな名前だな」
「ええ、だから今のオーナーが先代から受け継いだ時に、もう少し呼びやすい名前に変わったんですよ」
戦前から使われていたという小さな映画館は、手入れが行き届いて居心地が良かった。しかし、年季の入りすぎた建物の老朽化はいかんともしがたく、客足は最新型の映画館に流れ気味だったようである。

「彼女の小説では劇場ということになっていましたけど、モデルはアルタイルだとすぐにわかりました。そして、その劇場の看板役者“宵の明星”のモデルも、ね」

いちばん好きなものを、星にたとえてしまうんです。

麦穂の声が、湯気に混じってゆらゆらと漂う。
宵の明星を、ただ客席で見つめているだけの主人公の姿が、麦穂の横顔に重なった。

「彼女のおばあさまはお元気な方でね、お孫さんを訪ねてこの街まで来られたことがあるんですよ。“たまたま”バスの座席が隣だったものですから、色々お話を伺いましてね。お孫さんが小説を書いているらしいけど、パソコンがまったくわからなくて読めないのだとおっしゃるので、冊子の形にしてみるようにお孫さんに提案してみたらどうですか、とお勧めしてみたんです」
「よくいけしゃあしゃあと“たまたま”なんて言うな…」
呆れたように春輔は顔色ひとつ変えず紅茶を口に運ぶ冬二郎を見つめた。

「この店を見つけたということは、しかも常連になる程通うということは、そういうことですから」
「この店を必要としている、ってか」
「ええ、その通りですよ」
デザートのチョコレートケーキを春輔と自分の前に並べて、冬二郎はにっこりと微笑む。
「私たちは、そのためにここにいるのですからね」

アルタイルの窓口に置かれた、素人が集まる文芸のイベントのチラシを手に取った冬二郎に、窓口の青年が話しかけてきた。
「ああ、それね、アルバイトの子が置かせて欲しいって言ってきたんです。ほら、水曜日の夜だけアルバイトに来てくれてる学生さん。彼女も参加するんだそうですよ」
春に閉館するまでの繋ぎでもいいから働いてくれる人はいないかと、アルバイトを探していたアルタイルのオーナーに、冬二郎が紹介した学生だった。
「ちょうど休みなので、ちょっと冷やかしに行ってみようと思ってます。お客さんもこういうの興味あるんですか?」
自分は仕事で行けないが、気になる作家がいるのだと冬二郎は答える。良かったらその人の作品買ってきますよ、と気心の知れた常連客に快く提案してくれる青年に、冬二郎は麦穂の名を告げた。

「私にできるのは、そのくらいのことですよ」
「そのくらい、ねえ…」
「アルタイルが閉館するまでに、間に合って良かったですけどね」
「偶然」をもたらす神は、もしかしたら全員冬二郎の姿をしているのかもしれないと、春輔は思った。
「そう言えばあのお兄さん、今どうしてるんだ?」


⑥へ続く

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