バラード第1番 ~四大陸選手権2020~

本日の記事は2020年2月16日にはてなブログに掲載した記事の再掲です。出場した選手のうち演技を視聴できた選手の感想はすべて書いておりますが、羽生結弦選手の演技部分のみ抜粋しています。

世界選手権が無事に開催されるかどうか、この記事を編集している現在は不透明ですが、選手たちの日々の努力が報われる機会が持てるように、そしておそらくはこの閉塞した時代に神がもたらした存在である羽生結弦という稀代の名選手が、その演技が我々の希望となって輝くことを願って、今回掲載させていただきます。
…と書いていたのですが、残念ながら中止(いや延期なのかな…)が発表されました。せめて本当は春先に舞うはずだったバラードに思いを馳せて、このたび掲載させていただきます。

元の記事はこちら→「四大陸選手権2020雑感⑤

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23:羽生結弦
久しぶりに吐きそうなくらい緊張した。気休めかもしれないけど放送前にお風呂に入って禊は済ませたし、あとはもう祈るしかない。この大会の結果が、優勝以外は負けだと感じている彼の今後に大きく影響してくるような気がして仕方なかった。もしかしたら折れかけたのかもしれない彼の熱く燃える繊細なプライドが、また真っ直ぐに輝けるかどうかが、きっとこの大会で決まる。

とにかくサルコウさえ降りれば大丈夫なはずだ、と平昌と同じことを考えながらひたすら祈った。少しだけ変更を加えたらしい衣装は、ブルーのグラデーションに少し緑が入っているように見えた。とても涼やかで、どこか郷愁を感じさせる。遠い昔に大好きだった、ラムネのアイスクリームを思い出させた。それは誰よりも好戦的でありながらどこか儚さを身に纏う羽生結弦に、優しく寄り添う淡いオーロラのようでもあった。蒼く冷たい氷の世界を春の色で照らす、ほのかな灯り。

演技が始まる。ぐるりと首を回すあの印象的な振付から演技が始まる。2年ぶりのバラード第1番。氷でできた蒼いピアノがかき鳴らす、結晶のような音色。
サルコウを跳ぶ。非常に美しく着氷した。4点を超える加点に目を剥く。ひとまず安心したが、演技はまだ始まったばかりである。
続く4回転トゥループのコンビネーション。演技後半ではなく跳ぶタイミングをここに変えたらしい。こちらも非常に美しい。加点はやはり4点を超えていた。

ピアノの音色が青や緑のラムネの粒をリンクに撒き散らす。羽生君の指先からもそれはこぼれる。羽生君のスピンは鍵盤を叩く指をそのまま氷の上に置いたように五線譜を巻き取って踊る。

いつでも彼の最強の武器だったトリプルアクセル。ぐうの音も出ないほど美しく、五線譜を揺らして舞い上がる。スピン、ステップ。人はここまで音楽をその身体に宿らせて舞えるのか。それはフィギュアスケートというれっきとしたスポーツのはずなのに、まるで蒼いピアノの音の結晶が氷の上に戯れていただけのようにも見えた。フィギュアスケートのひとつの到達点が、間違いなく今ここで披露されたのだと感じるほどに。

何度も、何度も目にしてきたバラード第1番。編曲されたメロディを覚えてしまうほどに、何度も何度も見つめてきたプログラム。これ以上の演技などこのバラードにはもはや存在しないのではないかと震えたことが何度あったか。何度もあったのは、その震える想いが何度も新しい記憶で上書きされてきたからだ。そしてそれは、今、この瞬間にも行われた。

涙が止まらない。あの平昌のリンクの記憶は、我々にもまだ新しい。あの、凡百の作家にはとても著せないような衝撃的で濃密な物語を、また違った形で我々に示してくるなんて。この人はどこまで、本当にどこまで…。
演技の出来自体は平昌よりさらに良かったのではないか。あの時は明かしていなかったし微塵もそんな様子は見せなかったが、羽生君の足は回復していなかった。今回はあの時よりずっと体調がいいのだろう。2年ぶりに演じられたとは思えないほどに、まるですべてが彼の一部だったように、ただ彼がふっと吐息を漏らしただけのように、それは空間と空気に溶け込んで当たり前に存在していた。普段は見えない空気の精が可視化されただけのように。

私が初めてバラード第1番を見たのは、2014年のファンタジー・オン・アイスだったと思う。激しく湧き出る透明な水のようなプログラムだと思った。19歳の羽生結弦は、その燃える炎を剥き出しにして、氷に叩きつけるように滑っていた。
あれから6年近い月日が流れた。透明な水は徐々に空の色を吸い取って、青い色を増していった。底の方を覗くと深い青に吸い込まれそうになる。
そして今、その青に翡翠が沈められていく。深い青の底で、丸い翡翠の玉がきらきらと輝く。それは水面に眩しい光の粒を鮮やかに浮かべていく。

フィギュアスケートのプログラムとは、このように熟していくものだったのか。羽生君に限った話ではなく、昔のプログラムに戻すことについては否定的な意見が述べられていることが多かったため、私もそういうものなのだと思っていた。同じプログラムばかりでは、ジャッジにも飽きが来てしまうのは確かだろう。
だが、このバラードを見て考えは完全に変わった。むしろ初期にこのプログラムを目にした時よりも、ずっとずっと飽きが来なくなっている。ずっとずっと中毒性が増している。何度も、何度でも見たくなるプログラムに進化し続けている。
彼がこの四大陸のバラードで成し遂げたことは、世界最高点の更新だけでは無かったのではないか。フィギュアスケートの常識だと我々が勝手に思っていたその枠を、彼は破壊してくれたのかもしれない。そしてそれはフィギュアスケートの可能性を、またひとつ大きく広げることになるのかもしれない。

正直、もっと点は出るかと思った。本人もそう思っていたのかもしれない。こんな凄まじい点を叩き出しても少々納得のいかない表情をしているのがとても羽生君らしい。しかし、この演技は実質最高の評価を得たと考えていいのだと思う。得点的にももちろんだが、これだけ我々を「掛け値なしで美しいもの」で圧倒させられる存在はほとんど居ないからだ。それは得点で測れるものではない。羽生結弦の世界に絡め取られて二度と抜け出せなくなる、それこそが彼のスケートにおける最大の魅力であり価値なのではないだろうか。

何にしろ、素晴らしい演技が出来て本当に良かった…。皆がいい演技をした試合で圧倒的に勝ちたい、そう言っていた彼ならば、皆が持てる力を存分に見せてくれているこの試合展開で、いい演技をしないはずがないと思った。
羽生結弦を信じられないのなら、ほかに信じられるものなどおそらくは何もない。それを改めて実感させられた2分40秒だった。どうかこれからも、彼の思う通りに滑っていて欲しいと願う。我々ファンの中にもたくさん持ち主が居る、歪んだ愛情や一方的な意見がどれだけ蒼く透明な水の周囲で飛び交ったとしても。

耳の中でピアノの音色が弾け続ける。いつまでも、いつまでも残る余韻。寒さも忘れて、私はテレビの前に座り込んだまま涙を拭った。桃色や黄色の金平糖のようなプリズムの残像が、本当はそんなものは見えなかったはずなのにその残像が、瞼の奥で揺れていた。


平昌オリンピックのバラードについての記事もどうぞ→

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