情熱とためらいの無限ループ・3

先日、「私が憧れの対象に対していかにチキンなファンか」ということについて延々と綴りました。こちらの記事です。→

長くなったので色々割愛したのですけど、「ファンとその憧れの対象との関係性」について日頃思うことはほかにも色々あるのですね。今日はそのあたりをちょこっと書いてみようかなと思います。


先日の記事にも書いた通り、私は「憧れの対象と同じ空間を共有する」ことに非常に躊躇いを感じてしまう人間です。対象に憧れるあまり、対象の邪魔にならないことをいちばんに考えてしまう。自分に対する自信のなさが根底にあるのでしょうね、とほほです…。本当は同じ空間で満喫したいのですけどね、私のようなものがそんな、と卑屈になってしまうのです(泣)。

主な理由はそれですが、実はもうひとつ原因があります。
それは、「ファンが怖い」。

憧れの対象は素敵な人たちですから、大勢のファンがいます。その対象が所属する組織や分野にもたくさんのファンがいます。ほとんどのファンはごく普通の人で、会場で隣り合わせたりネット上ですれ違ったりしても、特に心がどんよりするようなことはありません。
しかし、どうやらどんな世界にも、どんよりしてしまうファンというものが存在するようです。一度は気にも留めずにすれ違ったファンも、二度目にすれ違った時にはどんよりするかもしれない。人間には光も闇もありますからね。

憧れの対象とライバル関係にある人物を貶すファンの声に怒りを覚えてみたり、居酒屋で憧れのはずの対象をディスってるファンの集団に遭遇してみたり、ほかのファンに向ける嫉妬の眼差しに怯えてみたり、情報を追っていてたまたまネットで見つけたファンの闇の深さに震え上がってみたり…。ファンの世界とはこんなにもドロドロしているのかと、げっそりしてしまったことは数知れず。

それは、所謂「目立つファン」ではないことの方が多いです。たまたまなのか意図的なのか、行動が目立ってしまってほかのファンの目に止まりやすいファンではない。そういうファンの中に困った人がいるのは確かです。見ていてげっそりする方も中にはいます。
ただ、そういう方は何か本当に困った事態が発生した際には、憧れの対象本人なりその関係者なりが「No」を突きつけやすい。また、実際にはさほど困った事態ではなかったりきちんと理由があるかもしれないのに話が勝手に尾ひれがついて拡がってるだけかもしれない。

たとえば、そういうファンを痛い人呼ばわりしてディスってるファンの方が、真の意味で厄介ではないのかと私は常々思ってます。
彼らは自分が正しいと信じて疑っていない。大好きな「推し」とやらのために、目障りなものを排除しようとして役に立ったつもりで喜んでいる。憧れの対象の本心など当然ながら知り得る立場ではないのに、勝手にその心情を代弁して悦に入っている。
自覚がないだけに厄介です。その悪意の対象は、ファンだけでなく関係者や分野そのものに及ぶことも少なくありませんし、時には憧れの対象本人にも矛先が向く。その憧れの対象に何らかの形で憎しみが湧いたり、飽きてしまった時にも厄介さは続きます。個人的に最も厄介なアンチは元ファンだと思っています。

自分はルールを守っている正しいファン。それはそれで立派なことなんです。正しくあろうとしていて偉いですよ。だけど、そのことと他人を蔑んで喜ぶような人間性とはまったく別の話です。
中には、正しいファンのフリをした出待ちの常習犯、なんてのもいるわけです。裏で何やってるかなんて知らない人々は、その人の流す情報に喜んで飛び付いていく。それ、たぶん散々その人にまとわりついて得た情報だよ?でも証拠もないのに、喜んでる人たちにそんなこと言えないわけで。
で、そうやって有り難がって貰えることこそそのファンの目的なんですよ、たぶん。そう、承認欲求。しかも肥大した欲求。そしてそういう手が使えるのかと知ったファンが出待ちなり何なりに加わっていく悪循環がおそらくは…。げっそり。


これらの根底にあるものは何なのか。おそらくそれは「嫉妬」でしょう。

異性のファンになる時点で、程度の差こそあれ「恋愛感情」に似たものは誰しも持っているだろう、と私は考えています。人気商売はその「恋愛感情」を刺激することで成り立つ職業とも言えるでしょう。ある程度、ファンからそういう目を向けられることは計算済みの人物も少なくなかろうと思います。
そういう意味では、人気俳優の結婚報道が出た際などに落ち込むファンを「ガチ恋」「現実が見えていない」などと揶揄するのは非常にナンセンスだと言えます。
恋愛感情でなくとも、親戚の子供を見守るような情を抱いている場合などに、その相手が結婚となると一抹の寂しさを覚えることもあるでしょう。そういった種の感情は自分自身にも覚えがある人間も多いはずです。

人間の感情とは複雑なもの。すぐに割り切れる人もいればそうでない人もいる。よほど困ったことではない限り「こうでなければならない」という決まりはないのです。それを誰かに強要することの狭量さ。素直に嘆いている人とどちらが本当に「痛い」のか。いつも考えてしまいます。
もしかしたら揶揄する側の人々は、結果が出る可能性が限りなく低くても何かに夢中になれる人が羨ましいのかもしれません。もしくは、自分の心に抱く思慕の情を認められず、素直にそれを表出できる人物に嫉妬しているのかもしれない。

そう、結局は嫉妬。誰もが愛する人を独り占めしたいのです。自分だけを見て欲しいのです。けれど人気商売に携わる方にそれを求めることは限りなく不可能に近い。満たされない無意識の欲求が、ほかのファンを引きずり下ろしたり愛しているはずの対象をこき下ろしたりすることに繋がるのかもしれません。


少々話はずれますが、私がある人のファンだと知った方から「私たちの仲間になる?」と持ちかけられたことがあります。本気だったかどうかはちょっと怪しいですが。
おそらくその方々は所謂「プロ彼女」を目指し、既にその相手を射止めた人々の集団だったのではないかと予想しています。詳しくはわからないですけど、おそらくは。

私は結局仲間にはならなかったのですが、ちょっとだけ仲間になるフリをしてそのメソッドを聞いてみたら良かったかな(笑)、とちょっとだけ後悔もしてます。ああ、やっぱりそういう話になるんだな、と何となく察しましたけど…。そうね、男なんてそんなもんよね…。

大好きな人を独り占めできればそれは嬉しい。本音を言えばもちろんそうなります。しかし、私はおそらく彼女たちの使う方法で相手を独り占めしても、それを維持できないと思った。無理を重ねて営む生活は必ず破綻する。私のようなふざけた女には限りなく不可能です。完全に誘う相手間違えてますよね、声かけてきた人も(笑)。

それに、その人が有名だからとかお金持ってるからとかいう理由で名の知られた人を狙うことにも全然興味がなかった。人を愛することは理屈じゃない。そんなつもりなんかなくても気が付いたら捉えられているもの。計算だとか作戦だとか、そういったものが私はまったくできない。仮に必勝のメソッドを伝授されたとしても、私はきっとまともに使えないでしょう。

何よりも、私は結局その人のファンなのです。私みたいな変な女に引っ掛からないで、その活動で人々に活力を与え続けて欲しい。その活躍の邪魔になりたくない。それでも構わないと言ってくれるなら迷わずその手を取るけれど、それは天文学的数字で有り得ない話です。

あくまで相手から与えられるメリットを重視して、計算ずくで近付ける人間でないと、「そういう相手」になることは難しそうだな、とつらつら考えた思い出です。そういう人たちもいるみたいですよ。ああ、女の世界とは恐ろしい…。


憧れの対象に望むことは「元気で長生きして欲しい」くらいのことしかありませんが、「本当に純粋な気持ちで応援しているファンとそうでないファンを見分けて欲しい」とちょっとだけ望んでしまうことはあります。
ファンの数なんて人によっては把握しきれないほどいるでしょうし、自分を応援してくれる限り皆平等に扱いたいと思う方もいるでしょう。彼らにも生活があるので、お金を落としてくれるファンを無碍にはできないでしょうし。

しかし、ファンレターやブログのコメント等、もしくは本人の前だけではいくら美辞麗句を並べ立てていても、裏ではほかのファンを引きずり下ろして喜んでるようなファンが幅をきかせてしまっている場合は、気付いて欲しいかなとちょっとだけ思うのです。純粋に応援してる人たちがむごすぎて。
本当は気付いていて、そういうファンに冷たくすると何をされるかわからないので優しくしてるだけかもしれないですけどね。そうだったらその人とても冷静だわ…。

「ファンが怖くて発言できない、現地まで行けない」とフェードアウトしてしまうファンに一人でもいなくなってほしいんですよね。そういう優しいファンこそ、本当の意味でその人を応援してくれるはずだから。だから、気付いてほしいと願ってしまう。願ってはいけないと思いつつも。
一部のファンが騒ぎ立てることで、ただ純粋に応援しているファンが委縮するような事態は消滅して欲しい。「嫉妬」の感情を人間が抑えることができない限り、それは難しいのかもしれませんが…。私だって情の深いタイプだから、一度嫉妬モードに入ればきっとヤバい人間になるから、人のことは言えんし。

そうそう、自分についての発言をエゴサしている人々も多いことでしょうな。あの羽生結弦選手だって、近年ではエゴサを隠しもせずファンを煽ってくるスタイルです(笑)。昔からエゴサ疑惑はあったから驚きはしなかったけど、やっぱり震え上がりますよね(笑いながら滝のような汗)。
ただ、エゴサでわかるのはそのファンの一部だけ。目につく範囲ではまともに見えても、エゴサで引っ掛からない範疇で、ファンやジャンルや憧れの対象に対する意見という名のただの悪口を垂れ流しているかもしれない。愚痴や弱音の範囲を超えて。
誰かを大好きだと言い張るその舌の根も乾かぬうちに、誰かに悪意を向けられるその心。全部見られてるかもしれませんよ。私がアイドル的な何かなら、ある程度ファンは観察して、「自覚がない」人は警戒するかな。何かあった時に自衛できるように、そして傷付かないように。

それでも我々の憧れの対象は「応援ありがとう」って言ってくれるんですよ。我々がどれだけ黒く染まった何かに陥っていても。私はそれが辛い。私も本当は「ありがとう」なんて気持ちになれないのにそう言わせてるのかもしれないと思うと激しく落ち込んでしまう。
それでも、私はその人を応援する気持ちを捨てられないのです。お金も落とせないし拡散力もないけど、あなたを信じて応援してる。ただその気持ちしかないしょぼくれたファンだけど、これからもあなたの幸せを祈っていたいのです。どうか元気で長生きしてください。いつもいつも大好きです。

…何なんだこれは。訳がわからなくなってしまいました。いつものことか…。
こんなところでこっそり叫ぶことしかできないけど、私の心にはいつもそんな気持ちが溢れてます。そんなところを気に入ってブログやnoteを読んでくださる皆様にいつも心から感謝してます。あなたがどなたのファンかは存じ上げませんが、どうぞこれからも一緒に応援しましょうね!何かを心から愛する気持ちに、国境も県境もないよ、きっと。

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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は週5、6回ペースで更新中。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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