多分成長

バカが抜けていっている気がする

高校生の時自分は取り柄もなにもないから生きる価値がないと思っていて
そのうち生きる価値のある、死なれて困るひとはどこにもいない
全員勝手に生きて死んでいいと思うようになって
自分はひとと違うと信じた
ひととあまり関わらず、卒業と同時に縁も切りまくった

自分は人と違うのではなくて
ひとが当たり前にやって見えることや当たり前に持っている体が自分にないことを妬んで結果「あいつらはバカだ」と見下して、本当は劣っているのは自分なのに
ということを認めた
死のうと思って失敗した
整形した
生きるしかなさそうで生きるには整形が必要だったから
こんな自分はずっとひとり
だれもそばにいないからつらい
と思った
ひとと暮らして
「誰かがいればいい」わけではなく
なんなら結婚とからパートナーが全ての解決策というのは誤解だったと知り
ひとりで生きるか。
と思い
ひとりがしんどくなり
そのうち
しんどさが消えて
そもそも苦痛が多い人生をわざわざやるのって無意味どころか損じゃね?と思い
死ぬか。と思うようになり
でも死ぬのしんどいと思い
めんどくせぇとなり
なんかどうせ死ぬし
生き延びるかわからない余生のためにいまを堪え忍び過ぎだろと思い
そのうち
ひとがいないことで精神が落ちる仕組みというか
それが錯覚かもと思い
だって死ぬよりいまの生きる状態の方が楽だし
貯金は急に消えないし
見るに堪えないほど減ってから死に方を考えたって遅くないし

無理に、義務的に贅沢することはないし
ただ思考がぶっ飛んでショートカットして手間のかかる結論に誤って着地しない程度に
その金は使って悔やむべきものではなくて

受け入れるんではなくて諦める
もうどうしようもない

ただ金の心配をしなくていい生活をしたことはないので
パートナーとかと違って
これだけは、あっても心身の調子が変わらないかどうかはまだわからない。
多分金は希望。大体のことを叶えられる夢の道具だし、多分たくさん手に入れてもそれは変わらんと思う。
好きなだけパンとお茶買って、外食して野菜買って肉買って、いい部屋に住んで、全部叶えてくれる。



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