ブスに生まれてよかったのかもしれない
かわいくないから
ひとりで生きられるようになったのかもしれない
仙台で1人過ごして
知識の押し売り自分語り
彼女欲しすぎおじさんと話して
やっぱり人付き合いは煩わしく
ひとりで生きるしかできないと思った
会社のひとは
「ひとりがいいと思うのはまだ早いよ」と
つまり
まだパートナーが見つかる可能性のある若さだよ,と言ってくれたけど
もう32歳
美人でも金持ちでもない
世間一般的にはもう「詰み」でしょう
顔や体と付き合っているわけじゃない
この言葉は酷だった
やっぱり顔も体もダメなんだなぁと
そもそも豊胸しているから
私はもう本物の女でもない
当たり前の体で当たり前にそれなりに
体込みで誰かと付き合うのはどんなものなのか
私は死んでも理解できない
シリコンの入っていない胸の触り心地は知らないし、触られごごちも知り得ない
なんで私にはその当たり前がなかったのか
たまに本当にわからなくなるけど
もうどうでも良くなっている
ちやほやされないブスに生まれたから
気を回して頭を使って
少しでも求められる人材に
居場所のある人材に
そう思ってきたんだと思う
誰もブスにボランティアはしたくない
だからいろんなものを我慢して金を貯める
どうせブスなんだから
みすぼらしくていい
誰ともやらないんだから
シャツだってパンツだって着られるなら穴があいていてもいい
思い出しておくべきは
死ぬより生きる方が楽だから今は生きているということ
テキトーでいい
もし助けの多い美人に生まれていたら
若い間はそれに甘え
胸を突き出して
鼻声出しておっさんを転がし
老けて相手にされなくなった時には
なにもできないぶりっ子ババアになっていた
だからブスでよかったんだと思う
ダメになって死んでも誰も路頭に迷わない
誰かと生きることはもうない
「彼女ができないのは寂しいっ!」
なんて言わない
いつまでもバカみたいに夢を見ることはしないんだ私は。気持ち悪い。
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