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ENFPから見たMBTI各タイプ①、ENFP

1.はじめに

今回からしばらくの間、私(ENFP)から見たMBTIの各性格タイプについて書いていこうかと思う。

これは各タイプを客観的に、フラットに評価するのではなく、私自身の主観に満ちた彼らへの傾向と対策をまとめるものだ。

彼らの客観的な姿というのは、ネットのそこら辺に書いてあることを多角的に見て行けば大体掴めてくると思うので、あえて私がここで書くまでも無いだろう。

これから書くのは、全て私の偏見ということだ。

なお、初回はENFPから始めてみよう。

2.ENFP

一言でENFPと言っても人の数だけ違いがある。
私がENFPなので、今回は具体例として私自身を紹介するとしよう。

まず、この世界は私にとって広大な遊び場のようなものだ。
そこにある万物、全てのものはオモチャと言っていい。
その中で人間は最も精密にできた力作だと思う。

人生というものの面白さは彼らの扱い方によっていかようにも左右される。
その扱い方には色々とコツがあるが、まずはこのゲームのルール、全ての前提から説明しよう。

3.ルール

最初に挙げるべきは、面白いは正義である、ということである。
面白く、楽しく生きていくことは人生の目的と言い換えられる。

面白さは新奇性や斬新さ、革新さ、希少さ、その他の要素によって構成されているが、そこで重要になるのは発想の自由度だ。

ENFPとして注意するべきは、自らの外向的直観の発露を抑えて邪魔するような要素は危険だということだ。

そのため、常識や倫理観というものはなくていい。

というか、そもそもこの世に常識などというものは存在しない。
あれは多くの人間が存在するものと信じていて、場合によっては自分も常識的であると思い込んでいるだけの、一種の幻想でありファンタジーである。

倫理観、つまり善悪の判断についても大体のところ同様のことが言える。
これらのことを別の言葉で言うと、厨二病患者にとっての「設定」と同じだ。

この世界を遊び尽くし、しゃぶり尽くすのであれば、他人の用意した設定など考慮する必要はない。
少なくとも自分のアイデアを生み出す際においては。

他人というオモチャで遊ぶ際には、当然個々人が信じている設定を理解して、場合によってはそれを尊重する必要がある。

だが、常識や倫理観などというものを自分の価値観に組み込んでしまうのは、人生を楽しむ上で有害となり得る。
ああいうものは、あくまで他人の価値観なのだ。そこのところを履き違えてはいけない。
その上で、頭の片隅にでも置いておけば、ゲームのプレイ上とりあえずのところ問題はない。

こういった考えをMBTI的に表現するなら、内向的感情の働きに偏りは不要だということだ。
外部からもたらされる情報は全てを好ましく受容するのが理想で、好き嫌いは良くない。
あらゆる情報は、その使い方次第で大きく化けるので、内向的感情で変にフィルタリングしてしまうと発想の自由度と可能性は大きく損なわれてしまうので注意が必要だ。

4.不幸なENFPがいたら

もし、ENFPで自身に罪悪感や不安感、世の中に理不尽を感じる人がいるとしたら、その人は常識や教育によって汚染されている可能性が高い。

教育によって刷り込まれる価値観というものは、つまるところ社会や他人にとって都合の良い他人の価値観なのだ。
そして、現在の日本におけるその他人の価値観は、多くの場合ENFPのようなタイプの幸せを想定していない。
ENFPが自身に最適化された価値観ではなく、その他人の借り物の価値観を信じて生きるとしたら、幸せは遠のくばかりだろう。

今を幸福に生きていないENFPがいるとしたら、一度全ての情報を自らの直観によって精査し直して、自分自身の本質に完全に適合した自分だけの価値観を再構築することを私はお勧めする。

ENFPにはそれをできるだけの力が十分にあるのだから。

5.補足

こうやって見ていくと、私(ENFP)を非人間的なサイコパスのように考える人もいるかもしれないが、かく言う私は人間という生き物が大好きだ。

他人が楽しそうに、幸せそうに生きているのを見ると、普通に和む。
そのため、意図的に他者を傷つけたり、その不利益となるようなことをすることは滅多にない。

私に限らず、一般的にENFPはその自由を束縛せずに好きにやらせておけば基本的に無害だと思って良いだろう。

ただし、仕事など実務的なことをENFPに期待するのは止めておいた方が良い。
ENFPは努力とか責任とか継続とか達成とか、そういうことが本質的に向いていない、そういう生き物なのだ。

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