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noteのコメント

私は幸せなことに、noteであまり嫌な思いをしたことがない。

ただ、困ったなぁ。これって返事するものなのかなぁ。みたいなコメントは何回か頂いたことがある。

どれも初めましての方で、そのコメント以来交流もない。なんだかよく分からないまま放置していて、そのままになっている。

ある時は、記事とは全く関係のないコメントを延々と書かれ、私に向けてではなかったが、最後に「ざまあみろ」と書かれた。「なにがどう、ざまあみろなのか」と途方に暮れた。

「参考になります」コメントも時々頂く。え? そうなの? 参考になるようなこと書いたかな。大丈夫かな。私。

わけわからんな。。。

見知らぬ人のアカウントにやってきて突然コメントを残すのは、私は割と勇気がいる行動だと思うのだけど、そういうびっくりコメントをくださる方は、飛び抜けた行動力と、私には預かり知らぬ感じのメンタル・タフネスをお持ちなのだと、勝手に思っている。

相手にするとか、しないとか以前の問題で、たぶん私の記事や、私個人に対して何か思いがあるわけでもなさそうだった。

正直に言うと、何のためにコメントまでしに来たのかと思った。それにしても、「ざまあみろ」って人の記事のコメント欄に書くものなのかな。

こういうのを、もらい事故って言うのか。

コメント欄の使い方に、決まったルールはない。でもどんなツールであってもコメントは、アカウント主との交流ツールである。

相手がいることを忘れたコメントでは、交流ができない。コメントの意味がないのではないのかと思う。「ざまあみろ」とかは、自分の記事内で、お好きなだけ毒づいてほしい。

コメントをうまくできる・できない、という技術の問題ではなくて、相手を意識したコメントであれば、私は下手くそコメントでもいいと思う。

私自身も、普段たくさんコメントをしないので、上手なコメントをできる自信もない。できていないと思う。

コメントのよしあしは、お互いさまで、下手なコメントでもいいじゃないかと思える。

ただ相手があることを考えることは、コメントする時、必須なんじゃないのかなとは思う。

【今日の英作文】
食品の衛生管理に責任がある。
We are resposible for food hygiene management.

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