名前なんて

昔、書道教室に通っていた。

そこの書道教室の先生は、おばあちゃん先生だった。

口癖は、「女の子はいいけど、男の子は、名前が一生変わらないから、名前の練習をきちんとしなさい」というものだった。

今の感覚からすると、かなり時代錯誤なものがある。でも昔のことだから、誰も問題にしなかったし、みんな不思議にも思っていなかったようだった。

私もそういうものなのか。と思う程度だった。女の子の名前は変わるけど、男の子は一生物。

ところで、私の本名はやたら画数が多い。全部で4文字しかないのに、2文字は12-14画。残りの2文字はたったの3画。

バランスをとって、画数の多い字を小さく書く必要があるが、それがなかなか難しい。筆で書けば、文字の詰まったところが潰れて、真っ黒なかたまりに見えるか、やたら自己主張の激しい名前ができあがるか。

そんなわけで、男の子の名前がどうのこうのと先生はいうけど、私は今の名前でも四苦八苦だ! と見当違いなところで、怒っていた(いちいち、名前(の余白など)を計算して書きなさいと叱られていたからでもある)。

その教室は、やんちゃ盛りの小学生の男の子もたくさんきていた。練習の文字などマッハで書き上げて、遊びに行く算段をするような子が多く、名前云々など、右から左へ受け流すを地で行っていた。

女の子の方が、余程書道の練習に熱心だったのに、先生の男の子びいきは変わらなかった。

先生の生きた時代がそうさせたのかもしれないし、先生も女として、名前についてそう教えられて育ったのかもしれない。

書道や先生のことを思い出す度、名前の重みについて考える。

誰もが1度もらった名前を変えることは、難しい。女性は結婚をして、名前が変わることがあると言っても、通称として旧姓を使う人だっているし、そもそも結婚しない人だって珍しくない。

なんにせよ、名前を変えることは一大事だ。

いつか変わるから、男の子ほど名前の練習は必要ないと言い切るのは、やはりどんな未来を思い描いても、納得できない。

時代は変わっているんだなと思うし、名前というものを、そんなふうに男女だとか、カテゴリーで軽く扱うのは、間違っていると思う。

SNSごとに違う名前を使う私だけど、本当に意味のある名前はひとつしかない。そういう名前を大事にしたい。

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