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本のカバー

買った本でも、図書館で借りた本でも、あらゆる本に自分で新たにカバーをかけて持ち歩く。

表紙が汚れるのがいやだとか、なんの本を読んでいるのか知られるのがいやだとか、理由は色々ある。

日本の本は、カバーが基本的にかけられた状態で販売されているので、「カバー on カバーで、何枚カバーをかければ気が済むのか、あほらしい!」という人もいることも知っている。

でもなぁ、と思う。

私は「なにを読んでいるのか」と聞かれたら、表紙を1枚めくって中表紙を見せ、これこれだ、と伝えるような人なんだけども、全世界に向けて、私はこれを読んでいる!宣言をするような感じがいやで、カバーをかける。

たぶん、こうするようになったきっかけは、母の存在だ。

私は前から、自分の本棚を眺められるのが好きではない。別に恥ずかしいわけではないが、何となく自分の越えて欲しくない一線をずけずけと入り込んでこられるような気がする。

母は本棚の前に立ち、1冊取ってはペラリとめくり、「これなに?」とか、「なんの本なの?」とかよく聞いた。

最初こそ、これこれだ、と話していても、次々と「これはなんだ、これはなんだ」とやられるうちにうんざりしてきて、結局あなたは読まないでしょう! と頭にくる。

母は別になんの本なのかには、あまり興味がなくて、私がどんな本を集めているかに興味のある人だったのだ。だから前に「これはなんだ」と聞いた本も、すっかり忘れて、「面白かったら、母にも読ませてね」と言う。私としては、この間説明したでしょ、となるわけだ。

面倒でたまらない。

「母にも読ませてね」はある意味お世辞で、本当に読みたいと言って借りて行く本もあったけど、母の枕元には、私から借りた本が積読状態。

「読まないの?」と聞くと、「今忙しい」と言う。

私は大事な我が子のような本を貸したのに! とぷんすかくる。

母に聞かれたくない、面倒事を避けたくて、全ての本にカバーをかけるようになって習慣化したのではないか、と思う。

本について語りたい! と思ったこともあるけど、語る相手(母)が悪すぎた模様。

こう書くと、子供の言うことや関心に興味を持つ私の母は、とてもよい母親のような感じがしてくるが、干渉好きの、詮索好きにすぎないという面もしっかりあり、簡単に素敵な母像を思い描かれると、私は不本意だ。

カバーをかけ始めると、カバーがかかっていない本を持つのに違和感を持つようになり、結局外に出る本はカバーを全部かけることななっている。

カバーも、お店の包装紙にしたり、自分で布を裁断して作ったり、こだわってみると、楽しいものだ。

カバー on カバーもそう悪くない、素敵な自己表現。私だけが知ってる本の正体!

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