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エスカレーターが怖いとホールデンの夢

子供の頃、エスカレーターが怖かった。特に下りのエスカレーター。

どんどん下降する階段が出てくるのだが、どのタイミングで足を踏み出せばいいのか分からず、立ち往生。

タイミングが分からず足を出して、変に足を滑らせ、手を着いたら、巻き込まれて、指がなくなる……のではないか。

という妄想じみた恐怖心がもくもくと湧き、怖くて怖くてたまらなかった。

エスカレーター、怖い。

1度そんなふうに思ってしまうと、今まで乗れていたのに、乗れなくなってしまった。小学3年生くらいのときの話。

親に手を繋いでもらって、「えいっ」と乗る。

ある時、親は先に乗ってしまい、私が1人取り残されたことがあった。どんどん遠くなって行く親の姿。

後ろには事情が分からない他のお客さん。モタモタおろおろ、次々生まれるかのように出てくるエスカレーターの階段の前で、私は目を回していた。

先に階下に着いた親は、心配そうに私を見上げつつ、「大丈夫だから!」と少し笑いながら言っている。

何が大丈夫なものか!

ちょうど数年前に両親がマイホームを建てたので、家には大工さんが出入りしていた。かんなを削る大工さんに、かんな屑のヒラヒラを見て、感動した私が貰っていいかと聞くと、指の足りない手を見せて、これはいついつの時に、シュッとやっちゃったのだよ。と言った。

それ以来だ。エスカレーターの階段が怖くなったのは。私の指もエスカレーターでシュッとなっちゃうかもしれない。痛いのやだ。怖いのやだ。エスカレーターやだ。

バクバクする心臓に、口の中はカラカラだ。

エスカレーターの前で立ち往生する子供を、あんまりに迷惑かつ気の毒に思ったのか、後ろにいたお客さんが、「今だよ」「ここだよ」と言うようになった。

手はしっかりとベルトを握り、「今だ!」と足を踏み出す。後ろに仰け反るような反動があって、私は無事1人でエスカレーターに乗った。

転ぶんじゃないかと怖くて後ろを振り向くことはできなかった。あの時の「今だよ」のお客さんには、お礼もいえなかった。階下に着いたとたん、親はやっと来たとばかりに、「さあ行くよ」と行ってしまい、私も追いかけざるをえなかったからだ。

そうやって怖い怖いと言ってたものを一つ一つ怖くないと分かって生きてきた。多くの人と同じように。

でも、今回ふと思ったのは、なぜ私が下りのエスカレーターに乗れなかったのかを聞く人はいなかったなということ。

ただタイミングが分からないとだけ思われていたのに違いない。それに間違いはないけど、壮大な心配ごとが頭の中にはあったのよ、と今なら思う。

子供って意外と考えてる。

私に子供はいないけど、子供が困っているような時に、本当は何を考えているのかを聞く耳を持つ、大人になれたらいいなと思う。それこそ、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンのように、崖から落ちそうな子供をキャッチするキャッチャーになれたらなと、夢想する。

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