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『雪おんな』後日譚

 今日は、小泉八雲の『雪おんな』の後日譚を書いてみたので、それをのせてみようと思います。セミが鳴き始めるような時期に、雪おんな。。。楽しんでいただければ幸いです。

 ※二次創作です。


 お雪がいなくなって、巳之吉は十人の子の片親になった。毎日森へ行き、少し年長になった息子を連れて薪をおって帰ってくる。巳之吉の母はすでになく、妻のお雪は消えてしまった。夕方、夜闇にあかりが灯る我が家に帰ると、ふいにお雪が出迎えてくれるのではないかと思ってしまう。が、疲れた巳之吉を迎えてくれるのは、まだまだ幼さの残る子らだけ。母親がいなくなった家で、子らは懸命に家の仕事をし、寂しさと、口に出せない後悔を抱える巳之吉を支えてくれる。本来であれば、巳之吉が子らを守り、育てていかなくてはならないのに。
 お父さん、お父さんと彼を呼ぶ無邪気な子らの瞳をまっすぐ見ることができない自分を、巳之吉は恥じていた――子らを悲しませるようなことをしてはいけない。十分に分かっているのに、あの夜うっかりと口を滑らせた自分が一番許しがたく、殺されなかっただけ良かったと思うと同時に、あんな話一つで消えていったお雪が憎くもある。時々母を思って泣く子を、懸命にあやしながら、「このままでは命はない」と巳之吉はいつも背筋が凍る思いでいた。そして、色白の子らに、妻の面影を見つけるたび、やるせなく、不甲斐ない気持ちになった。
 村の人たちは、お雪が突然いなくなったことに、冷淡で遠慮のない噂話を重ねた。曰はく、――あんな奇妙な嫁など娶るから問題だったのだ、――最初から変だと思っていた、――いつかこうなると思っていた、――十人の子の母親にまでなって出て行くなんて、やはり普通の女ではなかったのだ。そして、巳之吉に早く後妻を見つけることだと言って慰め、話を締めくくるのが常だった。が、お雪の遺した子らの様子を見、不思議の起こった家だと知った後に、巳之吉に嫁いでくれるような女はいなかった。
 
そうして、いくつもの冬を越した。巳之吉はいつしか茂作のような老人になっていた。かつてのすがすがしい青葉のような青年の面影は遠く、顔は日に焼け浅黒く、頑丈な手指は木樵の仕事で、節が高くなった。周りの詮索や噂話に閉口し、巳之吉はやがて無口になり、結局後妻を迎えなかった。一人で子らを育て、子らは片親の巳之吉を心配しながらも、それぞれに家を出ていった。巳之吉は一人きりになった。

ある冬の日、巳之吉はいつものように森へ向かった。空はどんよりと曇り、雪がいつ降ってくるかと、時折空を見上げながら仕事をした。容赦のない冷たい風が老人の体にはひどくこたえる。仕事の区切りがつくころには、粉雪が舞い始めていた。できるだけ急いで巳之吉は寒さでかじかむ体を励まし、あの大きな川を目指した。川には相変わらず橋はない。何度かけても大水の度に流されるからである。
川のたもとに行って、巳之吉は息をのんだ。いつかの日のように、渡し守が舟を向こう岸において帰ってしまっていたのだった。雪は次第に重たいボタン雪となり、風はかまいたちのように吹き荒れ始めた。もし巳之吉が若者だったら、これくらいの雪であれば、強引に川を泳いで渡ってしまったかもしれない。が、巳之吉は老人であった。巳之吉はため息をついて、渡し守の小屋へ向かった。心もとないほどの小さな小屋で、風が唸り声をあげて吹くたびに、みしりみしりと小屋は根こそぎ押し倒されんばかりに揺れた。修繕もろくにされておらず、戸をしっかり閉めても、隙間風が入り込み、老人の体力や体温を容赦なく奪っていく。
巳之吉は蓑をかぶって、寒さに震えながら横になった。大気は刻々と冷え、雪はいよいよ激しく吹雪いているようであった。一日の仕事で疲れた体を横たえ、寒さに凍える手指や背中を丸めて息を吹きかけていると、十八の年の一夜のことが自然に思い出された。あの時、お雪は――雪おんなは、なぜ自分を茂作と同じにしなかったのか。なぜその後、そ知らぬ顔をして巳之吉の妻になったのか。なぜ約束を破った巳之吉を生かして、泣き叫ぶように自身が消えていったのか……。そして、寒さに震えながらも、とうとう巳之吉は眠り込んでしまった。
顔に雪が降りかかるような気がして、巳之吉は目を覚ました。戸は押し開かれていた。暴風で戸が開かぬようにあてがった棒切れは、戸口のそばに転がり、雪が降り積もり始めていた。巳之吉ははっとして、ぼんやりとした雪明りの中に女の姿を探した――真っ白な女の姿を。そして、戸口に立つ白い女の姿をみとめた。
巳之吉が女をみとめるのとほぼ同時に、白い女はするすると巳之吉の方へ滑るように歩を進め、身をかがめて巳之吉を覗き込んだ。かすむ老人の目にも分かるほど、息をのむほど美しい女だった。お雪だと思った。
「……お雪、か?」
体はこわばり、口元もおぼつかないが、巳之吉は必死にささやくように言った。
「約束を破ったのは、あなたでした」
 この寒さの中でも、薄い白い着物を着ただけの女は動じることなく、巳之吉にささやき返した。その声は冷たく、何の親しみも込められていないようであったが、巳之吉はあえぐように息をしながら続けた。
「悪かった。……許してくれとは言わない。子供らは、……」
 女は巳之吉の顔に指をそっと触れた。凍え切った体にも、氷のように冷たく感じられる、細い指だった。雪嵐でほつれた女の長い黒髪が、風をはらんで、ふわりと舞い上がる。
「あの時、殺してしまえばよかったと、何度思ったか分かりません」
巳之吉の体は次第に重くなってきた。それから、急激に視界がかすみ、夢の中を泳ぐように、感情が緩慢に、鈍くなって、目の前の女の姿が遠くなっていくのを感じた。
「おしまいにしましょう」
 女は巳之吉に息を吹きかけた。息はきらきらした霧のように、雪明りの中でまたたいた。そして、女は動かなくなった巳之吉の目を閉じた。
「……夢は、一度きりでいいのです」
 巳之吉の体に覆いかぶさるようにして、女は年老いた男の顔をもう一度眺めると、つと立ち上がり、雪嵐の中へ消えていった。

【了】

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。久しぶりに小説っぽいのものを書き、楽しかったです。

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