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(美大日記㉔)グッバイ銅版画/放課後の美術室

2000年代。まだ新幹線が開通する前ののんびりした石川県金沢市で、美大に通いながら、ひとり暮らしの日々を綴った『美大時代の日記帳』。
プライバシー配慮のため、登場する人物・建物名や時期等は一部脚色しておりますことをご了承ください。
それでは、開きます。


グッバイ銅版画

先生、
ごめんなさいけれど締め切りぶっちぎって私、逃げます!!!!!

金沢で暮らした4年間、帰省ではなく、自分を取り巻く状況が嫌になり実家へ「逃亡」したことが私は2度ある。1度目はホームシックにかかった1年生の夏(『美大日記⑦』参照)。2度目がこの、3年生の銅版画実習の時期だった。
べつに銅版画そのものが嫌なわけではなかったが、当時抱えていた友人関係のイザコザや、温厚だと思っていた古い知り合いの裏の顔発覚や、近所のアパートで人が亡くなり救急車やパトカーが来て不安になったり、たこ焼き屋で臨時バイトしてたらダンディ坂野が来たり等々、なんかもう情緒がぐらぐらになって連休でもない週半ば、名古屋行きのしらさぎに乗った。

小学生の頃は、
学校から帰るとおかあさんがごはんを作ってくれて、私は呼ばれるまで部屋で好きなイラストや漫画を描いて、「ごはんだよー」って階段下から呼ばれても描きかけが一区切りつくまで「ちょっと待ってー」と誤魔化して、夜、寝る前にもまた絵を描いて、10時になったらおとうさんが「もう寝なさい」って言いにくるかもしれないけれどまだ描いていたくて、黙っていれば気づかれないかもと子ども部屋で息をひそめて続きを描いていた。

なのに今現在どうだ。好きなことを学ばせてもらい、誰にも注意されず一晩中でも絵が描ける完全なる自由を手に入れたはずなのに、目の前の制作から逃げて実家を目指している私って。しかも実家では腐食(※銅版画の作業工程)も印刷も出来ないのに、描きかけの銅板だけはカバンに入れて来たという中途半端な自分…。
憂さ晴らしに地元の友人とカラオケで盛り上がっていると、同じ油画クラスのMちゃんから「銅版課題、出してなかったね。先生が困っとったよ」というメールが来た。さらに落ち込む。しかしすぐには戻れないし戻りたくない。逃避行は甘やかで、しかし常に罪悪感がつきまとう。

結局水曜から週末まで名古屋にいて、月曜に金沢へ戻った。油画教授から「このままだと確実に留年だよ」と、呼び出しをくらうグループ(←同じクラスに何人もいる)に私もついに名を連ねてしまう。銅版は学校に戻ってからなんとか作品を腐食&印刷し徹夜でレポートも書いた。本来は完成作品の補足を担うための必須レポートであるが、私の場合、作品が思いっきり未完成なので「なぜ私はこの作品を完成させることができなかったのか?」をただただ屁理屈捏ねる文章をワープロで綴った。提出時、先生と会うの気まずいな~と恐る恐る銅版室に行くと、タイミングよく先生が誰かと会話していたので
「これ、遅れてすみません!では!」
とどさくさ紛れに提出。考古学の縄文土器づくり&フレスコ実習という土と砂にまみれる体力勝負の制作へ、ふらふら舞い戻った。

このように、不真面目丸出しだった銅版画はおそらく単位落される、と覚悟していたがなぜか上げてもらえた。不思議に思っていたある日、大きなキャンバスを抱えて校門を出ようとしていた私を振り返り、「あれ、あのあなた。宇佐江さん?」と呼び止める人がいた。
目の前にいたのは件の銅版画教授。そう認識した瞬間、やばっ!と焦りがこみあげたがそれを制する勢いで、「あの、文章。レポート。素晴らしかったです!」といきなり言われた。

「へ?」

ひょっとして、あの思うままメチャクチャに書いたやつ?
「ほんとに、素晴らしい。その、美大の人にはありえないくらい」とえらく褒めちぎられ、他学年にもぜひ見せたいが良いだろうかとお願いされた。「いやそんな、どうも、遅れて提出してしまったのに…」しどろもどろに頭を下げてそそくさと去ろうとしたが一度だけ、先生を振り返り

「あ、単位くださり、ありがとうございます!!」

と大声で御礼を言った。


放課後の美術室

2年生の時にグループ展をやったメンバーで、3年生になってからもう一度グループ展をすることになった。
前回一番の反省点が来場者の少なさだったので、準備の要領がある程度わかっている今回は、広報活動により力を入れることにした。といっても、貧乏学生でまだSNSも普及していなかった時代。DMとポスターを配る枚数を増やすことくらいしか思いつかない。
けれど私にはひとつアイデアがあった。メンバーの知り合いや店などに加えて、会場となるGギャラリーのエリアにある高校にも配ったらどうか。特に、美術部の生徒とかに。
授業を終えた夕方、メンバーのRさんと共に自転車で美大を出た。

まずはA付属高校。事務局を訪ねて資料と広報物を渡す。思ったより邪険にされることなく好意的に受け取ってくれて助かった。次にB高校で同様に事務局に挨拶して、近いのでそのままGギャラリーにも完成DMとポスターを渡しに寄った。前回もお世話になったこのギャラリーはほんとうに素敵なギャラリーで、いきなりお邪魔したのにお菓子のお裾分けをいただいた。こんないいギャラリー他にないよ…!神様出会わせてくれてありがとう!
次は、県下一偏差値が高いといわれているC高校。さすが皆賢そうな顔をしている(気がする)。校舎も立派でウチの大学の方が負けている…。

ここまで順調にまわれたが、最後のD高校に着いた頃にはもう真っ暗で、入り口を探すのに苦労した。なんとか土間のところまで辿り着いたが、事務局ももう帰っちゃっているかも…とRさんと話していると、タイミングよく用務員さんが通った。事情を話すと
「美術の先生がまだ残ってたから、直接どうぞ」
と、なんとそのまま校内に入らせてもらった。

懐かしい、長い廊下と体操着。
「青春の匂いがするね」
とつぶやくと、隣を歩くRさんが「ああーわかる。なんか、エイトフォーみたいな」。
暗い廊下にひとつだけ光の漏れている「美術室」と書かれた部屋をノックする。教室には眼鏡をかけた若い男の先生と、女生徒がふたり残っていた。美大生と名乗り用件を話すと、彼らはとても驚いて、

「すごい。今ちょうど、金沢美大の話をしていたんですよ」

アポなしにも関わらずすごい歓迎されて「美大の方がこんな営業に来てくれるなんて初めてですよ。他の高校も回ってるんですか?」と訊かれた。
やっぱり珍しいのかこういうの。やって良かった。生徒たちはまだ1年生らしい。皆できゃっきゃと少し雑談して、教室を出た。


なんてことない平和な1日。
けれど、実はこの日の出会いには続きがあった。それはまた、もう少し先の日記で。






今週もお読みいただきありがとうございました。人生には時々逃避行が必要だと学んだのもこの頃。自分がバクハツしちゃう前の防御本能。課題より自分を大事にしたことは今でも後悔していませんが、あのレポート、いったいどんな内容だったのだろうか…ワープロ処分したからもう読めないのが残念です。
皆さんは、逃げたい気分になったらどうしますか?

◆次回予告◆
よみきりエッセイ『最大級のポタポタ受難』

それではまた、次の月曜に。


*Gギャラリーとの出会いの話はこちら↓


*金沢で巻き起こる、小さな小さな出来事。その他はこちら↓


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