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「ポタポタ物語」怒涛の最終回

「水難の相が出ています……」

と、深刻ぶった顔で占い師に告げられそうなほど、ここ最近、私は「濡れる災難」にたびたび遭っている。1度目は出先で買った弁当の容器を持ち帰る際、袋から魚の煮汁が零れてお気に入りの白シャツに茶色いポタポタがついた。2度目は、出勤途中に買った冷たいうどんからやはり何故か汁が漏れ、制服に出汁風味のポタポタがついた。3度目などはポタポタどころではなく、買ったばかりの白ワインを鞄に入れようとして手元が狂い、非防水のエコバッグごと床にガシャーン!……。安物のテーブルワインだったとはいえ、あれは相当ショックだった。これでもう、どうかポタポタ納めにしてくれと誰にか分からないが願った。
だが、まだだった。
ポタポタ物語のクライマックスは、予期せぬシナリオで私が来るのをひたひたと待っていた。

(※途中から、ちょっと痛い話が出てきますがなるべく愉快に書くのでご容赦ください。)

好天の初夏―。
知人の展示を観に、その日、私は他県へ来ていた。駅からまず市バスに乗り、途中S厚生病院という大きな病院のバス停で乗り換えて、そこからローカルバスに乗る予定だった。
ところが、S厚生病院で下車後、次に乗るバスの発車場所が分からず、方向音痴の私は自力で彷徨う前にS厚生病院にお邪魔して、受付の人に場所を教えてもらった。彼女はとても親切に、目的のバス停までわざわざ案内してくれた。近くにあるたこ焼き屋から、ソースの焦げるいい匂いがした。

ほどなくしてバスが続けざまに2台来た。私の目的は後車。先頭にいたバスに、違いますよ~私そちら乗りませんよ~というアピールで、手を横に振ったりバス停の屋根から出ないようにしたが定刻より早かったのか、なかなか動きださない。後ろにみえているバスが私に気づかず発車してしまわないか不安になり、先頭車がようやく動いたタイミングと同時に私は道路際へと駆け寄った。言い訳がましいが、そのような心理的焦りがあったとまずご理解いただきたい。
私に気づいて停まったローカルバスは、いかにも古い市バスの型落ち車両で、停車位置が、その時立っていた歩道からギリ一歩分、微妙に離れていたことに私は気づいていなかった。次の瞬間、バスステップに乗せようと踏み込んだ左足が宙で空振りし、歩道より1段下がった車道にヘンな角度でぐにゃりと着地した。

「いった!!!!」

ひねった痛みの拍子に右の脛もどこかへぶつけ、思わず大声で叫んだ。「大丈夫ですか?」と運転手さんの声がする。それに反応できないほどひねった足が痛かった。下半身にまったく力が入らず、開いたドアにしがみつくようにしてなんとか「は、はい、だいじょうぶです……」と、いちばん近い座席へと這うように沈む。バスは何事もなかったように発車した。
窓にもたれ、息を整える。
痛い。めちゃくちゃ痛い。ひねった足、バスを降りたあと歩けるだろうか…。しかし重症なのは、実はそちらではなかった。

窓の外が街からどんどん緑豊かになるころ、私の右脚に「ポタポタ」の気配がした。え、と狭い空間でうつむき覗き込むと、右の脛に、小指の太さほどの「穴」としか形容しがたいものがあった。てっきり擦りむいた程度と思い、痛みもたいして感じなかったそこから、私の命の赤ワインが、ポタポタとスニーカーに流れ落ちている。あわててハンカチで抑えた。

20分後。

目的の停留所で私は下車した。なんとか歩けたが、問題は、まったく止まらぬポタポタである。のどかな田舎町。道路は人も車も通らず、店もない。美しい新緑の山々だけが目に映る。こういう時に限って、いつも持ち歩いているティッシュもウエットティッシュも忘れてきて、それこそエコバッグもなく、今、「そこ」を抑えているミニサイズのタオルハンカチしかない状況。展示会場へは徒歩数分。ひとまず歩き出すと駐在所があったので「すみませーん」と訪ねて、絆創膏をもらった。
「救急箱がないから自前の貰いモンだけど……」と快く絆創膏を差し出してくれたおまわりさんは、「大丈夫?救急車呼ぼうか?」と心配してくれた。歩けるので大丈夫です、と御礼を言い、絆創膏のおかげで止まったポタポタを確認し、ほっとして、ヨチヨチ歩きで会場に向かった。

観たかった展示を観て、満足して来た道を戻りだしたそのとき、再び足元で「ポタポタ」の気配がした。バッ、とガウチョの裾をめくるとあにはからんや、絆創膏という堤防を越えて命の赤ワインが染み出し、ふたたび脛を滑り落ちている。

まずい…。

このままでは電車にも乗れないし、まして家での処置では手に負えないかもしれない。観念した私は、バスを待つあいだS厚生病院の番号を調べ電話をかけた。

「……なにがあったんですか?」
診察台で寝そべる私の右脚の穴を、その場の医師や看護師さんが数人で取り囲み、不思議そうに覗き込んでいる。「バス乗る時に足を踏み外して…」テヘヘと笑うしかない私。
何か刺さった?ステップの角かな?などと頭上でやりとりがあり、「怪我したのは何時頃ですか?」と訊かれ2時間前だと答えると、また驚かれた。それだけ時間が経過しても、私の赤ワインは枯れることなく溢れ続けていたからである。
「一度消毒して、患部を洗いますね。それで、申し訳ないんですが……痕が残ります。縫いますので」

ぬ、縫う?!!

いや、痕が残るのは己の不注意だし全然構わないんだけれど、縫う怪我など人生初なので思わぬ急展開にくらくらした。結局、4針縫った。念のためレントゲンをとり骨折がないかも調べてもらったがそれは大丈夫だった。この時点でも、右脚より痛みがあった左足首は捻挫と診断された(翌日、焼き餅のようにぷくーっと膨れ上がった)。

「あれ?あなたさっき、バス停の……」

ロビーで待っていたら、先程バス停へ連れてってくれた受付の人が私に気づき、声をかけてくれた。まさかあの直後に怪我をして、同じ日に患者として再会することになろうとは…。私の人生を空で創作している脚本家がいるとすれば、今日の物語はなかなか伏線が効いている。

そもそも、バスの乗り継ぎ場所が病院前というのが奇跡的だった。まったく土地勘のない場所である。しかも通常の診療時間外で救急扱いだったにも関わらず、さほど待たなかったし、スタッフさんはとても親切だった。後日抜糸をしてもらう必要があるので地元の病院へ紹介状を書いてもらう間、看護師さんが、
「今のうちに、先に薬局で痛み止めもらって飲んだ方がいいですよ。傷のところ、今は麻酔が効いてて痛くないかもしれないけれど、たぶん、かなり痛くなるから」と気遣ってくれた。

病院を出て、駅へと戻るバスに乗るまえに負傷した足を引きずりつつ、たこ焼き屋に寄った。できたて熱々のたこ焼きは、甘くないシンプルなソースの味と紅ショウガが効いていた。こんな時でも食欲を失わないのは、自分の長所と思いたい。

それにしても脚本家さん。

もう充分ハラハラドキドキしたので、ポタポタ物語は今日で、最終回にしてくださいね…。


(表題写真by宇佐江みつこ)



今週もお読みいただきありがとうございました。現在は順調に抜糸まで済みカサブタになっています。皆様も、お足元には充分ご注意を……。

◆次回予告◆
(短編エッセイ)その朝、世界は変わってた。

それではまた、次の月曜に。


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