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(短編エッセイ)若者でいられる時間は短い/文字を書くのが好き。

表題イラスト/©宇佐江みつこ

若者でいられる時間は短い

以前、さすまたの使い方を習う機会があった。お手本のあと「どうぞ皆さんも前に出て、実際に扱ってみてください」と主催者から声がかかったのだが、
「ぜひ、若い方からどうぞ!」
と言われて会場の空気が、なんだか急に、もじもじした。

その場にいたのは男女織り交ぜ年齢で言うと20代後半から50代くらい。割合としては3~40代がいちばん多かっただろうか。誰も皆、「若者」という言葉を真に受けてすっくと立ちあがり「はいっ!若者行きます!!」と名乗り出るには勇気がいる、ビミョ~な年齢層である。しかし講師は還暦を過ぎたご年齢だったから、まったくもって何気なく放った一言だろう。
こういう時、沈黙を破り
「やります!」と最初に手を挙げるのは、我慢を耐えるよりも痛みに飛び込んで早く楽になりたいタイプ。すなわち、私だ。
実物のさすまたは中々扱いが難しく、その後は他の人も代わる代わる壇上に続いた。

年齢を重ねると好奇心が衰えると漠然と思っていたけれど、意外とそんなことはない。多分、私だけでなく他の人も結構そうなのではないかと、まわりの知人たちを見て思う。

むしろ20代前半までは、目の前のことしか考えられなくて色んなことが過剰にめんどくさかった気がする。
親元や学校という受動的な環境から、社会にぽーんと出ていきなり能動的モードを余儀なくされて、うまく対応できていなかったせいかもしれない。それが30代にさしかかるころ、ようやく色々なことが落ち着いて認識でき、自分に必要なものを会得しようという好奇心が行動力を伴って芽生え始めた。
しかし悲しいのは、そんなふうに内面が生き生きするのに反比例して外見のおとな度がすっかり成熟してしまうことだ。

30代前半、何度か言われてショックだった言葉に「あなたはもう若くない」というのがあった。
ズバリ言われたわけではないけれど、例えば率先してバイトの欠員を埋めようと延長勤務に名乗りをあげると「いいのよ、そういう大変なことは若い人に任せましょう」と、20代前半の子に割り振られたり、知人の紹介で美術関係者に挨拶に言ったとき、「あら、○○さんから、『若い子だ』って聞いていたけれど…」と、身も蓋もないことを言われたり、した。

えっ?30歳って、もうそんなご隠居みたいなポジションなの?

「若い若い」とちやほやされながらも、経験の浅さを理由に意見を軽んじられて悔しかった20代。ようやくそんな状況を脱し、「おとなにおとな扱い」されて呼吸がしやすくなったはずなのに、また別の居心地悪さが登場。いったい人は、幾つになれば自他共に生き易いベスト年齢となるのだろう。未だにこの答えは出ないけれど、少なくとも自分は、年下にも、年上にも、「もうあなた若くないですよ」とは絶対言わないと心に決めている。

マスクを外し始めた世の中で、10代、20代の子たちがとても眩しい。
しわもたるみもなくつるりとした頬を晒し、堂々と歩く姿を見てたら自然と「若いなあ~」としみじみ心の中でつぶやいてしまう。若者でいられる時間は、過ぎてみれば残酷なほど短かかった。

彼らの眩しさを「美しい」と感じたときに初めて、自分自身で若者族からの卒業をストレスなく受け入れられたと思った。現在、37歳の私である。


文字を書くのが好き。

仕事で近々ミーティングがあり、円滑にすすむか心配で仕方なかった私は頼まれてもいないのに勝手に資料を作成し、話し合うべき内容をWordで打って内容がおかしくないかを同僚に見てもらった。それを見た同僚は、内容どうこうよりも、
「宇佐江さんて、文字を書くのが好きなんだね」と感心したように言った。

文字を書くのが好き。

正確には、その時の文章はWordだから私は「文字を書いて」はいない。けれど、彼女の言わんとするニュアンスはものすごく伝わった。これまで私は、「文章を書くのが好きだ」と自覚していたけれど、そうじゃなく、もっと根源的に、文字を書くという行為そのものがどうやらめちゃくちゃ、好きらしい。
そしてその「好き」の発動は、きまって私の思考がネガティブに傾いているときに訪れる。

学生時代は毎日書いていた日記を去年から復活して毎夜書いているのだが、楽しかった日や、充実した日の日記って、なんか筆が乗らない。それどころか、心理的に満足すると書きたい欲求が遠のくのか、日記をパスしてそのまま寝てしまうこともしばしば。
ところが、嫌なことがあった日の日記ときたらやたら長文になる。
よく、
「ぐっすりと熟睡するためには、寝る前に嫌なことを思い出しちゃダメ!ハッピーなことだけ思い浮かべましょう☆」
と前向きなインフルエンサー的な人は言うけれど、私の行いは、まさにその真逆である。早く忘れてしまえばいいような事柄をわざわざ入眠前に文字におこすことによって仔細に思い出し、「あああああ」と嫌な気分がふたたび再生される。こういう日の日記は臨場感に溢れ、読み物としてはなかなか面白い、と時々読み返していて思う。寝つきには良くないけれど。

書くとすっきりするとか、考えを整理できるから書いているというわけではないのである。だって実際書いてもすっきりはしないし、考えもぜんぜんまとまらなくて大渋滞。ネガティブはネガティブのまま。それなのに、書いている。
確かにもうこれは「好き」という気持ちの他にありえない。こんなにも単純な事実を、しかも自分自身のことなのに、これまでまったく気がつかなかったなんて。

「私のどこが好き?」
「わからない、けれど、一緒にいるとなんか落ち着くんだよ」。

私と文字を書くこととの関係は、そのような絆で結ばれていたのだ。両想いではなく片想いの可能性大だけど。

そしてこれを書いている今も実は絶賛ネガティブ中。今日一日で、文字を沢山書きまくったお陰で仕事がたいへんはかどった。

幸せなんだかどうなんだか、わからないけれどやめられない。




今週もお読みいただきありがとうございました。20代の子の瑞々しさは羨ましいけれど、「戻りたい?」って訊かれたら絶対戻りたくはないんだよなあ…。色々我慢しすぎてしんどかったし…。経験と図太さを重ねて、嫌なことを嫌と偽りなく判断できるようになったのは、成長なのだと思う。

皆様は、どんな20代を過ごされましたか?

◆次回予告◆
『おでかけがしたい。⑰』未知なる世界、折込チラシのバスツアー。

それではまた、次の月曜に。


*宇佐江みつこの短編エッセイ。その他のお話はこちら↓


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