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鰤の悲劇ー美大時代の日記帳⑩ー

まだ新幹線が開通する前、駅に自動改札すらなかった頃の地方観光都市・金沢。その小さな街の美大に通いながら、たいしたドラマも起きない一人暮らしの日々を、偏執なまでに細かく綴った『美大時代の日記帳』第10回。
プライバシー配慮のため、登場する人物・建物名や時期等は一部脚色しておりますことをご了承ください。

それでは、開きます。

ヤモリの鳴き声

最近、アパートの部屋に時々ヤモリが出没する。その愛らしい顔を見つけるのが、ひそかな私の楽しみだ。

こどもの頃に長年イモリを飼っていた影響で、よく似たフォルムのヤモリもいつのまにか好きになっていた。両者ともトカゲによく似ているが、水槽で生活できるイモリは両生類で、ヤモリは爬虫類。漢字で「家守ヤモリ」と表すとおり、ヤモリは家を守ってくれるという逸話をおばあちゃんから聞いて以来「かわいいだけでなく、縁起がいいものなんだなあ」と思い、益々好きになった。実際、害虫を食べてくれるなど家に役立つことをしてくれているらしい。

ある日のこと。
午後からバイトがあるのでその準備をしているとき、母から荷物が届く予定であったことを思い出した。受け取りの必要がないもののはずだが、アパートの新聞受けが小さいので配達の人が困るかもしれないと思い、玄関の取っ手に「郵便受けに入らないサイズのものはこちらに入れてください」というメモを貼った袋をさげておこう。私は袋のストックがしまってある押し入れの襖を開けた。
その直後。

キュ~~~~。

ん?なんだこの音は。
はじめ、鼻炎気味の自分の鼻が鳴っているのかと思ったが、どうも音は私の体外から聞こえた気がする…その時、またもや
「キュー。キュー。」
という音が。否、音ではなくそれは実は…

「おおっ!!」

私は急いで開けた襖をもとに戻した。なんと、ヤモリくんが開いた襖と押し入れの木枠の間に挟まっていたのだった。例の「キュー」は、彼(推定)が出した悲鳴こえだったのである。
ごめんよ~。

それにしても、初めて聞いたヤモリの鳴き声。キューというのね。暖房がきいていて快適なのか、すっかりこの部屋に居ついている。こんなに頻繁に見かけるとまるで私が放し飼いしているペットのように思え、声まで聞けてさらに好きになってしまった。


ブリの悲劇

ショック、ショック、ショック。
超ショック。でらショック。
あ~~~~。

ことの始まりは今日の夕方。明日、大学の友だちをアパートに招いてはじめて夕飯を振る舞うことになっており、張り切ってスーパーで買い物をした。サバの味噌煮でも作ろうと思っていたが生憎売り場になく、代わりに前々から買ってみたかったブリのあらを買った。これであら煮を作ろう。帰宅して母にあら煮の作り方を聞き、ようし、明日は早起きしてあら煮を仕込んで夕方までに味をしみこませようと計画していた。
ところが。
私は、魚や肉類は通常、買ってすぐ使わず冷凍にすることが多いので習慣的に「翌日使う肉・魚は解凍のために前日、出しておく」ことが多かった。おそらくその癖で、凍ってもいない買ったばかりのブリを、台所に置きっぱなしにした。
それから夕飯を食べ、テレビを観て、お風呂に入り、石川さゆりの曲に合わせて拳を握りながら皿洗いするために私は再び台所に戻った。鼻歌まじりで…そうしたら。

ブリが。

明日使う予定のブリが。

買ってきたばかりのブリが………変色していた。

豚肉を急遽使いたくてレンジで解凍するつもりが熱が入りすぎてピンク色から灰色になってしまった時みたく、私のブリが、イケナイ色になってしまっていた。
ここは北陸。冬は厳しく寒い。しかし今の時代は季節に関係なく室内は人間の適温に保たれている。そして勿論それは、おサカナの適温ではない。

ああああああああああああ。

翌日。前夜のショックからまだ立ち直れないまま、とりあえず朝、母に電話してみた。予想通り、
「やめときなさい。お友だちに出すなら」と即答されたので、震える手で昨夜のブリちゃんを、生ごみ箱に葬った。ごめんなさい。
またひとつ、私は失敗から学びました。

せっかく早起きしたのに二度寝し、作っても作っても料理がひとつも完成しなくて皆を待たせ続けて焦る夢から冷や汗とともに目覚めた。しかし、それで気分が一新して私は部屋を飛び出し、香林坊の109(※現在はありません。)までチャリを飛ばし、プレイガイドで本日一斉発売の「石川さゆりコンサート」のチケットを買った。一番高い席は経済的に無理だったが、A席の中では前の方の、センター席を獲得できた。ついに、生で石川さゆりの声が聴ける。しかも金沢で。

意気揚々とアパートに戻り、部屋じゅうを掃除した。使う人がいるとは思えないが一応お風呂も掃除した。そしてやっと、料理に取り掛かる。

今夜のメニューは白米、味噌汁、茄子の煮物、大根とシーチキンのサラダ、小松菜と卵と豚肉の炒めもの、そしてきんぴら(←ブリのあら煮の代打。)我ながらなんて所帯じみた献立だ。この前、A子の家でおしゃれな皿にパスタを作ってもらったが、私にはそのような芸当は出来ないので、せっせと品数だけは豊富に準備した。

7時過ぎに、呼んだ友人たちが揃い、皆でこたつを囲んでいただきますをした。やや多めに作ってしまったが、全ての皿をきれいに食べてもらえてほっとした。持ち寄ったジュースとお菓子をつまみながら、学校の話や受験の時の話で盛り上がる。なんと、私もMちゃんもA子も2次試験で同じ教室で描いていたことが判明。他にもあの部屋だったという子が複数居たので、偶然合格者が多く出た部屋だったんだな~。道理で、まわりが全員うまく見えたわけだと1年越しに納得する。

夜中の12時頃、皆が帰った。見送ったあと、掃除したてのきれいな浴槽に浸かりながら「すべり出しは大失敗だったけれど、なかなか手際よく料理作れたな」と思った。
もっと勉強して、色々作れるようになりたいなあ。



【おまけの小話】
ヤモリを「家守(屋守という説もある)」と書くように、イモリは「井守(井戸を守る)」と書くのだそう。私の家では幼少期ずっと玄関に置いた水槽でアカハライモリを飼っていた。表情に乏しいようにみえて、日々観察しているとくりっとした瞳や、餌を投げ入れてあげると小さな口をぱくぱくさせて待つ様子がたまらなく可愛い。意外にも寿命は長く平均20年ほどとも言われている。





今週もお読みいただきありがとうございました。いや…あらためて読み返して、大学生の女子が友だちを初めて招く宴にしては献立、地味すぎだろうと我ながら思いました。しょうゆ味ばっかやん…(笑)。しかも作ろうとしていたブリのあら煮も、手間がかかるわりに食べづらいし、今思うとメニューから外してむしろ良かった。今でもスーパーでブリのあらが安く売っているのを見るとつい「おいしそ~」と買いたくなってしまうのですが、素材の状態の期待値を超える出来上がりにならないことを知っている現在は、もう手に取りません。

◆次回予告◆
『ArtとTalk㉒』長編小説的な絵を描く生徒と金平糖の絵を描く恩師の話。

それではまた、次の月曜に。


*ひとり暮らしの日記すなわち、自炊の成長記録。その他のお話はこちら↓




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